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祐天寺界隈

 東急目黒線の武蔵小山駅から同じく東急東横線の祐天寺駅界隈を歩いてきた。
 別に鉄ちゃんではなく、目黒区内のある土地に、太平洋戦争前後に建っていたはずの建物を調べるという、れっきとした仕事である。
 れっきとしたって、どういう仕事?と怪訝に思うであろうが、まあ、そのへんはご想像にお任せしよう。

池上線
これは目蒲線ではなく、池上線千鳥町駅?で
撮った3450形。確か1983年の撮影。
 東急目黒線に乗るのは、都営地下鉄三田線との相互乗入れで目蒲線から改称してから、初めての乗車であった。目蒲線というと、いまだにグリーンの旧型車のイメージがあるが、たまたま乗った都営地下鉄6300系のヒューンというVVVFインバーター音を聞くと、線名だけではなく、時代も変わったとつくづく思う。
 武蔵小山駅は、目黒から2駅目、旧型車のほうが似合いそうな風情を残した駅である。
 ここから、東横線祐天寺駅方面へ1km強歩いて、まず法務局へ。ここで、昔の建物が登記されていないか調べてみたが、空振り。
 次の目標は、さらに約1km歩き、今度は守屋図書館。図書館なら古い地図がありそうに思ったのだ。しかし、開架式の棚はもちろん、備えられたパソコンで、目黒区全体の蔵書を検索しても、それらしいものは見つけられなかった。
 やはり無理だったか、と図書館を出ると、隣に目黒区郷土資料館があるのに気がついた。早速入館すると、ロビーに『写真集 目黒の風景100年』という本が置いてある。パラパラとめくると、なつかしい玉電の写真や、目蒲線や東横線の写真などが載っている。おまけに『消えた線路』と題するコラムもあって、市電予定線跡や軍用鉄道跡などが紹介され、なかなか鉄分が濃い。
 ・・・いやいや、鉄ちゃんに来たのではない、れっきとした仕事をこなさなくてはいけない。
 同じ写真集に、戦前に保険会社が作成したという火災保険図という地図の一部分が紹介されていた。
 スケールにしたら1500分の1くらいだろうか、一軒一軒の建物の形状も表示され、ちょうど今の住宅地図そのものである。いや、情報量では住宅地図以上で、火災保険が目的だから、建物構造が耐火性のあるコンクリート・レンガか、あるいは木造なのかの区分、屋根の構造もワラ葺き、瓦、スレートかの区分が表記されている。さらに延焼の可能性を見るためだろうか、塀もコンクリート塀、板塀、トタン塀、生垣など細かく分類されている。
 今回の目的地の火災保険図があれば、どんな建物があったかわかるかも知れない。早速、郷土資料室の事務所で来意を告げ、該当地の地図を閲覧させてもらう。
「え〜っと、駅からこう行って、ここを曲がって、そうだ、ここだ!」と指し示した指先には、『畑』の表示が広がっていた。

 結局、戦前にあったはずの建物はないことがわかり、少々消化不良の調査結果であったが、後の予定も迫っていたので、ここで切り上げ、祐天寺駅から引き上げたのであった。もちろん、お土産にあの写真集を買ったのは言うまでもない。(もちろん自費で)

 今、改めて写真集の保険地図を見ると、本当に興味深い。写真集には自由が丘駅周辺などが掲載されていて、例えば、駅前の商店街を順に並べてみると、
『果物店』『料理店』『レコード屋』『洋装店』『本屋』『菓子店』『下駄屋』『寝具屋』『玩具店』『食堂』『肉屋』『瀬戸物屋』『パン屋』『食品店』『魚屋』『八百屋』
 と、さすがに下駄屋に時代は感じるものの、他は今の商店街と言われてもおかしくないような感じだ。もちろん、今なら、コンビニやファーストフード店が顔を出すのだろうが。
 戦前に、レコード屋やパン屋が独立して店舗を構えていたことに新鮮な驚きを感じる。その他、犬猫病院や喫茶タンポポというのもあって、当時、どんな様子だったのか、思いをめぐらせるだけでも楽しい。『ポパイ』なんていう屋号もある。あの漫画のポパイのことだろうか、といつまで見ていても、飽きないのであった。

【2001年8月記】


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