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最後に鳥沢に寄る。ここから少し猿橋側へ行ったところにある新桂川橋梁を、この日の撮影の締めくくりに選んだのである。
新桂川橋梁は、地形に合わせて大きく迂回していた旧線を、直線にするために架けられただけあって、一気に山から山へ飛び越える感じの雄大な橋で、中央線の有名撮影ポイントである。
当時、そうと知って立ち寄ったのかもやはり思い出せないが、印象に残っているのは駅を降りて橋に向かって歩いていくと、一目で旧線跡とわかる道が残っていたことだ。
それを見て、旧線跡を歩いてみたい、という衝動に駆られたが、新桂川橋梁での撮影を優先する。旧線跡へは「そのうちまた来よう」と思いながら、30年以上の歳月が流れてしまった。
ここでの最初の撮影は、予告編?にも使った71系。
次は客車急行の『たてしな51号』だ。
季節列車であるが、中央線の新宿方では、鈍行客車列車なきあと、唯一残った貴重な旧型客車列車なのである。
さきの71系とほぼ同じアングルで恐縮だが、やはり列車が小さいので大きな写真にしてみた。
もう陽も山の端に隠れたころ、橋の袂に移って数本の上り列車を撮る。
左が167系、右が183系なのは言うまでもないが、何もメモを残しておらず、当時のダイヤや時刻表もどこかに埋もれてしまって見当たらないので、列車名がわからない。
たぶん、『たてしな51号』の後だから、167系は『たてしな52号』、183系は『あずさ6号』だと思うのだが。
撮影を終えて、鳥沢から高尾までの列車は、また71系だった。
記憶は曖昧なままだが、おそらく車内の照明は白熱灯だったのだろう、小仏トンネルに入ると、なんとも薄暗い。でも、ニス塗りの車内とあいまって暖かみにあふれ、「やっぱり旧国はいいなあ」としみじみ思うのであった。
「今回はあまり71系を撮れなかったな。よし、今度は71系をメインに来よう」と心に決めたはずが、その後間もなく71系は引退してしまい、その決意は永遠に叶わぬものになってしまったのである。
【2009年1月記】
『テーマ研究』に
つづく