ウィーン編
夜行列車『レムス号』で予定どおりウィーン南駅に到着。さすがに寒い。
ウィーン南駅でカートを押す新妻(当時)
ホームに置いてあるカートに荷物を積み込み、空港のようにごろごろ転がして構外に出る。ヨーロッパの主要駅はいわゆる行き止まり駅が多いので、この点は本当に便利だ。
日本でも、とは思うが、終点ならともかく、途中駅だと方向転換のために機関車の付け替えなど列車のほうに手間と時間がかかる。せっかちな日本人には受け入れられないだろう。何といっても、道路だって車優先で、人が階段をのぼって渡らねばならないお国である。最近“ひとにやさしい”なんてよく言われるが、このへんの発想は根本から違うように思える。
と、文化論(?)はそのへんにして、話をウィーンに戻そう。
さすがに夜行列車の疲れもあり、タクシーでホテルに一旦入ることにする。運転手に「ホテルアンバサダー」と告げると首をかしげる。どうやらこちらの発音が悪くてわからないようだ。学生時代、第2外国語はドイツ語をとっていたのにホテル名さえ伝えられないとは情けない。何度かホテル名を繰り返すと、ようやく運転手が答えてくれた、
「Ja Hotel Ambassador!」おお、ドイツ語だ(^^;)
こうして何とかホテルに着いて一服したのち、早くもクリスマスの飾り付けがちらほら見られるウィーンの街に繰り出した。
ウィーン南駅に到着した『レムス号』
もちろん最後はオーストリア国鉄の機関車が牽いている。
午後、ウィーン西駅へ行き、翌々日に乗車予定のモーツアルト号の指定券を取り、その足で有名なシェーンブルン宮殿を見学。帰りに地下鉄に乗ろうと思うが駅が見つけられず、通りがかりの人に片言の英語で尋ねてみた。その人も英語は得意ではないようで、駅の方向を指差し、片言で、
「ストレート400メーター、アンド、レフトストレート100メーター」
と答えてくれたが、そこは片言同士、私にはたいへん分かりやすい説明であった(^^;)
翌日のウィーンは銀世界になっていた。雪の中を市内観光した後、タクシーでベートーベンやシューベルトが眠る中央墓地へ。帰国後、友人にはせっかくのウィーンでわざわざ墓場なんてと言われてしまったが、両親には「ほらこれが『第三の男』のラストシーンの並木道だよ」と写真を見せると大層なつかしがっていた。『第三の男』はさすがに私の生まれる前の映画で、一世代前の人達にとってウィーン中央墓地は、青春時代を思い起こさせるなつかしいものなのであろう。
リンク(環状道路)を走る市電
確かブルクリンクのあたり。
国会議事堂?前を発車する市電
中央墓地からは市電で帰る。と言っても市内まで約7Kmあり、ちょっとした郊外電車の様相だ。乗車前に切符を買うと聞いていたが、売場がわからないので、やってきた3両編成の最後尾の車両にそのまま乗車。
市内に入り、ベルヴェデーレ宮殿を横目に走れば終点も近い。街中の停留所でどやどやと人が降りたが、線路が続いているので終点はまだだと思ってそのまま座っていた。すると発車した電車は狭い路地を曲がり、留置線のようなところで停車してしまった。しまった(誤植ではない^^;)と思ってももう遅い、さっきの停留所で残ったのは私らだけなのだから当然終点と気づくべきで、何とも間の抜けた話ではある。
しかし、ここは動じず、せっかく誰もいないのだからとゆっくり車内で記念写真を撮り、おもむろにガラス越しに見える先頭車両の運転手に扉を開けてもらおうと「おーい」と手を振るが、気がついてくれない。そういえば下車時は乗客がボタンを押して扉を開けていたような、と思い出し、それらしいボタンを押すと、果たしてガシャンと折戸が開き、そそくさっと下車したのであった。結局無賃乗車である。
後で地図を見てわかったのだが、この系統の市電は、終点の先から一街区ぐるっとまわって元に戻るいわゆるリバース線になっていて、終点といえども見た目は途中駅のような感じである。終点で折り返すという固定観念にとらわれたミスであった。
その日の晩は、せっかく音楽の都、それもオペラシーズンのウィーンの冬なのだからと、事前に日本から予約していた国立オペラ座でオペラ『アラベラ』を鑑賞。
国立オペラ座の半券。
ボックス席では敷居が高いので
オープンのBALKONを頼んでいた。
この日だけのために持ってきたスーツを着こんで臨んだものの、見事にドレスアップしたウィーンの人達に圧倒されてしまう。華やかなウィーンの空気を感じたひとときであった。
余談ながら日本で予約する場合、今も同じシステムかわからないが、東京のオーストリア観光協会からプログラムなどを送ってもらい、日程・演目を確認し、同封の申込葉書に希望する日や座席を記入してウィーンに送り、返送された予約券で前日までに現地でチケットを買うという結構面倒な手順であった。
言うまでもなく、私は鉄ちゃんではあるがオペラ通ではない。たまたま新婚旅行の日程に合う演目が『アラベラ』だったわけで、ただでさえ日本では馴染みのないオペラだけに、これまた事前に図書館であらすじの翻訳をコピーしておいた。これは正解で、もし事前にあらすじを知らなかったら、ちんぷんかんぷんのオペラ鑑賞になったことだろう。
ということで、旅行前はトーマスクックだけ読みふけっていたわけではなく、こういう準備も怠りなかったのである。(って、何を自慢しているのだろう?それより、旅行前はちゃんと仕事をしていたのか、もう当時は思い出せないのだが、今さらながら心配である)
翌朝、ウィーン西駅からのモーツアルト号は8時発なので、バタバタとチェックアウトの手続きを取る。その姿を見てホテルマンが「この素晴らしいウィーンに2泊だけか」と残念そうに言う。確かにもう少しゆっくりできればよかったと思う。次はどこへ行くのか尋ねられ、ミュンヘンだと答えると、ミュンヘンには何日いるのかとまた尋ねる。 実は半日の予定だったので、苦し紛れに「few」と答えると、ドイツ語のフュンフ(数字の5)と聞こえたらしく、「5日間か。そりゃいい。ミュンヘンもいいところだ。よい旅行を!」と満面の笑みで見送ってくれた。ちょっと後ろめたい気分でタクシーに乗り込んだ。
ホーム入口に掲げられた行先表示板。
モーツアルト号パリ行・・・
いやがうえにも旅情をかきたてられる。
これでヨーロッパ鉄道旅行のウィーン編は終わり。
えっ?ウィーンの鉄ネタはちょろっとだけじゃないか、なんてホテルマンみたいなことを言うのはどこのどいつだ。って次はドイツだ。(ほとんどやけくその古い駄洒落…)