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つづいてはSさん。途中、今の感覚ではやってはいけないことも出てくるが、そのへんは大目にみていただきたい。
夏合宿の思い出(2)
「肥後大津〜三里木」を歩いて
8月6日のこと,肥後大津駅から原水駅まで歩いてみようと思った(あさはかだった)私は,10時20分ごろ肥後大津駅をあとに残し歩き始めた。
最初,町の中を歩いていた。でも,たいしておもしろくなかった。なんとなく田んぼを歩きたくなったので,田んぼに行きあたりそうな細い道を見つけてそこを通っていった。はたして,そこには草色の絵の具を塗った田んぼがあった。私は,その田んぼのあぜ道をどんどん歩いていった。そして,線路をわたって今度は道路を歩き始めた。少し歩くと,また田んぼが恋しくなったので,そばの田んぼにずかずかと入り込み,近くに休んでいたおばさん二人のそばにいって,図々しく会話をかわした。ふだん親しくないけど知っている人がそばに来ると,どうすればあいさつをしなくてすむだろうと考え,結局下を向いて気がつかないふりをして,私は通り過ぎるのだった。そんな私が,見知らぬ人になんのためらいもなく話しかけられるなんて……。
だんだん田んぼがいやになってきた。なぜかというと,あるくたびに小さなカエルがいっぱい出てくるから。 1センチぐらいのかわいいカエルなんだけど,大群となって現れると,恐怖で……。それに私の大キライなヘビが出てきたらどうしようと思い,田んぼを歩くのをやめた。(ヘビとのご対面は避けられた。)
それからも,がんばって歩いた。暑くて暑くて,太陽を背にうけて歩いた。でも,日影にはいると,けっこう涼しい。やっとの思いで,駅らしき建て物にたどり着いたので,とってもうれしかった。
しかし、次の列車が来るまでに,50分もあるではないか。そこで私は次の三里木駅までの徒歩の旅に出発したのだった。
すいこまれそうな青い空。太陽はじゃまものの雲がいないので,せいいっぱいの光をふり注ぐ。セミが高い杉の木にへばりついてミーンミーンとないている。
最初のうちは,豊肥本線に沿った国道57号線を歩いていたが,あまりに車が多いのでいやになり細い道があったので,そこを進んでいった。そうしたら,なんとその道は行きどまり! 前に線路が横たわっていたのである。そこで、線路をてくてくと行ったのだった。ちょっと歩くと向こうから,おばさんが私と同じように綿路を歩いてやって来た。親しみを感じた私は,あいさつでもしようと思っていたら,何か異質なものでも見るような目で私を見つめるので,声をかけるのはやめた。
どんどん線路を歩いていくと道があったのでそっちの方に切り替えた。(列車が私を引き殺すかもしれないと思ったので)そして一生懸命歩いた。でも,暑くて足が痛くて,歩くのをやめたかったけれど,やめたら,帰れなくなるので,根性で歩いた。
そしてようやく,あのあこがれの三里木駅についた。駅の待合室にはけっこう人がいた。しかし,一瞬,異様な人のまなざしを受けてしまった。肥後大津駅から歩いてきたなどということは,誰も知らないはずなのに。そんなに人間がめずらしいのか。それとも,私,あまりにもひどい格好をしていたのかなぁ…。
そんなことを考えているうちに,列車がやってきた。そして,それに乗り込み,水前寺へとむかったのだった。
読んでいると、彼女の顔が浮かんでくるようだ。
高校時代のある休日、立川の街でばったり彼女と出会ったとき、上目遣いに「こんにちわ」と挨拶してくれたことを思い出す。
そんなちょっと引っ込み思案なところも、正直に綴っている。普段は言えないようなことでも、文字にすると不思議なことに素直に表現できる。きっと彼女もそんな気持ちだったことだろう。
それにしても、肥後大津〜三里木間は、営業距離でも6.8キロもある。
なぜ歩いたのか、それも文章を読めば一人で歩いたようだ。もう記憶に残っていないのだが、いったい夏合宿はどういう行程を組んでいたのやら。
まさに「根性で歩いた」に違いない。そのフレーズも、Sさんらしいなあと思うのである。
【1975年3月・8月現地、2011年6月記】