今でこそ、ローカル私鉄だ、トロッコだの言っている私であるが、実は大手私鉄である小田急電鉄が私の鉄道趣味の原点と言えるのである。というのも・・・
♪窓を開ければ、小田急が見える(字余り)
そう、生まれてから1964年、小学校1年まで、狛江市(同時は町)の和泉多摩川にあった共同住宅に住んでいて、そのベランダからは多摩川を渡る小田急が望める絶好のロケーションだったのである。これで小田急ファンになるなと言うほうが無理な話である。
そこで、今回は、ホームページ開設3周年を記念して、その当時の思い出を綴っていこうと思う。
ただ、なにぶん小学校1年までの記憶なので、少々あいまいな点はご容赦願いたい。
■電車のあだ名
当時の小田急は、今以上に様々な形式、形態の電車が走っていたが、そのころは正式な形式名など知らなかったので、形の違いを見て、あだ名をつけて覚えていた。
今、思い出せるのは、『パパ電車』『パパ電車の一種』『チョコレート電車』くらいで、逆に今、本に載っている当時の電車の写真を見ても、何系のあだ名だったのか判然としない。
『パパ電車』というのは、電車の前面が、四角いフチ付の眼鏡をかけた父親の顔に似ているということからつけたあだ名で、前面が少し丸い電車を『一種』と呼んでいたはずだ。ということは、おそらく1900系と1600形だろう。
『チョコレート電車』は、元国鉄63形の払下げ車1800形のはずだ。当時は既に車体更新されていて、切妻の前面から見ると、屋根が丸く見えるので、『かまぼこ電車』と呼ぶほうがわかりやすいかも知れない。でも、子供の目からは、まだ茶色に塗られていた1800形の丸い屋根は、まさにおいしそうなチョコレートそのものなのであった。
■電車の色
小田急の色と言えば、手元にカラー写真が残っていないのは残念であるが、何といっても、あの紺と黄色のツートンカラーが忘れられない。
チョコレート電車と呼んでいた1800形も、鉄道ピクトリアルなどの雑誌を見ると、1964年当時、ツートンカラーになっている写真もあるので、実際は目にしていたかも知れない。
おそらく、旧型車も茶色から塗り替えられつつあった時期なのであろう。旧型車のくせに?ピカピカのツートンカラーになった電車がやって来て、乗ってみると、ペンキの匂いが鼻をついた記憶も残っている。
ただ、この濃い色のツートンカラーというのは、当時でもやや時代遅れの感はあり、何かの機会に乗った京王帝都電鉄の新型車が、白い車体に赤い帯を巻いていたのが、子供心にもスマートだなと思ったりしていた。
そんな小田急も、いつのまにか今の白い車体に青帯という塗装になったのであるが、そうなればそうなったで、ツートンカラーの時代がなつかしく思えてしまうのである。