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タイトル
 ロマンスカー編1/3


 小田急と言えばロマンスカー。これは鉄道ファンならずとも、小田急のことを少しでも知っている人なら誰しも認めることだろう。そして、私にとってロマンスカーと言えば、やはり前面展望車の3100系である。
 子供の頃、前面展望車は小田急だけだ、と自慢に思っていたら、名鉄のパノラマカーの後塵を拝したと知って、地団駄踏んで悔しがったものである。もっと言えば、イタリアのセッテベロのほうが、さらに先輩になるのではあるが。
 その3100系のことに触れる前に、やはり名車の誉れ高い3000系SE(Super Express)車のことから順に進めていこう。

3000系
 1957年(昭和32年)に登場した3000系は、国鉄の東海道本線で、当時の狭軌(線路の幅が1067mm)の世界最高速度である145km/hを出したことでも有名だ。
 1968年(昭和43年)、5000形ディーゼルカーの後釜として御殿場線へ乗入れる際、前面形状などを大改造のうえ、8両編成から5両編成に短くしたSSE(Short-SE)車となった。
 その後は比較的長期間活躍し、1991年(平成3年)に引退したのである。
 私が和泉多摩川に住んでいた1964年当時は、まだ改造前の原型で走っていたはずであるが、これまたほとんど記憶がない。子供は新し物好きだから、おそらく新型の3100系に目がいっていたのだろう。
 唯一、SE車で覚えているのは、いよいよマザコンと思われそうで、気がひけるのであるが、また母親の話で、「変な音(補助警報器のこと?)をたてて、モスラの幼虫みたいなのが走ってくるんだから、気持ち悪かったわ」と言われたことである。
 モスラの幼虫!?・・・SE車がそんな言い方をされたのはその後も聞いたことがない。
 SE車の記憶は、その程度であるが、SSE車になってからも、大学時代に江ノ島に遊びに行ったときに、『えのしま』に乗ったのが、最初で最後だったように思う。いつものことながら、もっと実車に触れておけばよかったと後悔している。救いはSSE車1編成が、小田急で大切に保存されていることだ。

3000系SSE車
一路御殿場をめざす3000系SSE車。
1978年、渋沢〜新松田間にて撮影。


3100系
 繰返しになるが、3100系NSE(New-Se)こそ、小田急ロマンスカーの代名詞と言っても過言ではない。個人的な思い入れもだいぶ入っているものの、それくらい決定的なインパクトを持つ車両だ。
 1963年(昭和38年)に登場し、残念ながら1999年(平成11年)に全車引退してしまったが、その前面展望車のスタイルは、後の7000系LSE車、10000系HiSE車と受け継がれている。
 その中でも、やはり初代展望車の3100系が最も気品ある優雅なスタイルだと思う。
 余談だが、0系から100系、300系、700系と発展した東海道新幹線も、一番最初の0系に最も穏やかな優美さを感じる。同じ1960年代につくられた3100系、0系には、やわらかい曲線美というデザインの共通性があるようだ。
 そういえば、最近の女子体操は、子供のような体つきの選手の曲芸になってしまったが、1964年の東京オリンピックで、個人総合優勝したチャスラフスカは何とも優雅なスタイルであった。ということは、車両のデザインに限らず、優雅・優美という言葉は、その時代すべてに共通するキーワードなのだろうか。
 もっとも、私自身、さすがにチャスラフスカの活躍はあまり覚えておらず、後の1972年のミュンヘンオリンピックでのコルブトのかわいらしさに見とれていた。ちなみにその次のモントリオールオリンピックで大活躍したコマネチは、あまりに完璧すぎて、当時はあまり好きではなかった。
 いかん、いかん、いつのまにか話が大きくそれている。3100系の話に戻そう。

3100系NSE車
上の3000系と同じく、渋沢〜新松田間にて撮影。
時期も同じ1978年であるが、3100系はこの直前に屋根上にクーラーが増強され、スマートなスタイルが少し崩れてしまったのが残念。


 この3100系ロマンスカーは、比較的最近まで、ミュージックホーンを鳴らして走っていたのも有名であった。40年近く前、共同住宅のジャングルジムの上で、ミュージックホーンをBGMに、颯爽と走り抜ける3100系の姿を見送ったのが、つい昨日のことのように思い出される。
 こうして記憶に刻み込まれたミュージックホーンの音色を、キーボードで再現してみたら、基本的な和音のド・ミ・ソしか使っていないことに気がついた。参考までに五線譜に落としてみたが、たぶんこんな感じだったと思う。
ミュージックホーン音階
3拍子、つまりワルツだったかは定かではないが、ここまで単純とは意外であった。
でも、だからこそ、ずっと記憶に残っていたのかも知れない。


 そんな憧れの3100系ロマンスカーに乗りたいとずっと願っていたが、それがかなったのは、和泉多摩川から引っ越した後の1967年(昭和42年)夏のことであった。



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