「ねえねえ、このままだと南に行ってしまうよ」ナビゲーター役の息子が言った。
明延鉱山 案内図
その日は、夏休みの小ドライブ旅行。家族を連れて兵庫県の養父町から西の波賀町の温泉に向けて、県道6号線を走っていたのであった。これまでナビゲーター役はカミさんであったが、細かい字が読みにくいと言い出した(要は老眼、歳をとったものだ)ので、今年から子供に任せたのであった。
「え、ずっと直進しているはずだけど」と車を路肩に止めて地図を確認する。
すると、西へ向かうには、さきほど通り過ぎた大屋市場で県道48号線に曲がらねばならず、このまま県道6号線を行くと、確かに南下してしまう。
「おいおい、曲がるところは言ってくれよ」とは言ったものの、初めてのナビゲートではしかたがない、道が違うことに気づいただけでもよしとしよう、と思い直す。
「さあ、Uターンね」と、なんとなくうれしそうに言うカミさんの横で、このまま行ったらどうなるか、改めて地図の県道6号線を目で追うと、あっ『明延』・・・・・なつかしい。
こうして道を間違えたのも、「閉山したら冷たいな、たまには寄れよ」と、1円電車(鉱山鉄道の電車)たちが呼んでいるのかも知れない。と、ひとりノスタルジックモードに入ってしまう。
「ちょっと遠回りになるけど、このまま行って、明延鉱山に寄っていこう。社会科見学だ」とへたな理屈をこねて言うと、
「生野銀山と並んで有名な鉱山ね」と思いもよらず、カミさんが答える。
「知っているの?」
「それくらい学校で習ったことは覚えているわよ」
ちなみにカミさんは兵庫県出身である。地元兵庫県を代表する鉱山として授業でも取り上げられたのだろう。
山道を越えて、明延の町に入ってすぐの『明延振興館』の前に、1円電車が保存されていて、早速見学。車内も開放されているので、我先に子供たちが入る。
最近化粧直しをされたようで、意外にきれいな
18号機とボギー客車『くろがね』
ただ、機関車は自立できないのか、
つっかい棒がされている。
「うわあ、ちっちゃい!」叫び声がもれてくるのを聞いて、我が意を得たり。一丁講釈でも垂れてやろうと、一緒に車内に入る。
「お父さんはな、20年くらい前、この電車が走っているころ、乗りに来たんだよ」
「なんで?」
「いや、なんでって言われたって・・・」
再び、車で町中を進んでみる。
「あけみ荘という旅館に泊まったんだけど、まだあるかな」と言うと、カミさんが「今、通り過ぎたわよ」と答える。あわてて車をバックさせると、確かに『あけみ荘』の看板。
「ぼろ〜い」と子供たちが言う。
こらこら失礼だろう、とは思ったものの、う〜む、確かに古ぼけている。そして記憶以上に小さい。
あれから25年か。あの日、傘をさして通学する小学生たちを、あの2階の窓から見送ったんだ。そのときの小学生もみんな社会人だな・・・再びノスタルジックモード。
それに水を差したのは、カミさんの一言。
「お父さんはね、こういうところに泊まるのが趣味だから」
どうも剣があるなあ、と思いながらも、まあ家族に軌道めぐり、廃線跡めぐりの『わび・さび』を理解しろというほうが無理な話か。
この先、左手の坂を上れば、鉱山に行けるはず、とさらに車を進めるが、坂道の入口は柵で塞がれ、通行止め。考えてみたら、生野銀山のように観光施設として整備されているわけではないのだから、入れないのは当たり前だ。
やむなくUターンして、県道6号線に戻る道すがら、改めて町並みを見ると、『あけのべ自然学校』という大きな施設を除けば、25年前とほとんど変わっていないように思える。そのことを口にすると、
「そりゃ、閉山して人がいなくなってしまったら、お金かけて建替えてもしかたないし・・・」
とカミさんが言う。そうかも知れない、なつかしさとわびしさが複雑に入り混じる。
明延の町を後にして、再び県道6号線の山道を南下する。と、坑道の入口があって、500mmの線路が顔を出しているのを見つけ、急停車。
「ここをさっきの電車が走っていたのね」というカミさんに、
「いや違う違う、線路の幅が違うから、ここは走れないんだ」
素人相手に、向きになって答える自分がおかしい。
坑道は立入禁止であったが、さきほどの『あけのべ自然学校』に申し込めば、坑道内の見学もできるそうだ。
思わず「申し込んでみようか」と色気を出すと、「時間もないから、早く温泉にいきましょうよ」とあっさり否決。
しかたなく、坑口から流れ出る冷気にしばらく当たって、坑道見学の空気だけ味わったのであった。
【2001年8月25日現地、同年9月記】
*25年前(1976年)の訪問記はこちらへどうぞ。