別府鉄道路線図
土山線跡の探索を終えた私は、大中遺跡の駐車場から車を出し、再び別府へ。
またイトーヨーカドーの駐車場にお世話になり、野口線跡に向かう。
■ K地点(山陽電鉄別府駅)
【K地点 山陽電鉄別府駅】
別府港側から野口側を望む。
手前の高架が山陽電鉄、
奥は山陽新幹線。
『鉄道廃線跡を歩く』にあるとおり、山陽電鉄のガード下を抜けると『松風こみち』という遊歩道になる。同書にならって看板にあった総工費を読むと、7億6千万円、もう実感のわかない金額である。
『松風こみち』に入ってすぐ、別府口駅跡があるはずだが、気がつかないうちに通りすぎていた。
■ L地点(レール跡)
【L地点 レール跡】
写真ではよく分からないが、
遊歩道の先に国道がある。
『鉄道廃線跡を歩く』でも紹介されていたレールの残る踏切跡。
土山線跡の『であいのみち』と違って、『松風こみち』は直射日光を遮るものがほとんどなく、白く太陽に照らされた遊歩道が、遠く国道250号線の高架まで一直線に続いている。
地図で確認すると、国道まで行ってもまだ行程は半分以下で、ちょっと気の遠くなる距離である。しかたないと炎天下の遊歩道を歩き出すが、クラクラっと本当に気を失うかと思った。
■ M地点(円長寺児童公園)
【M地点 円長寺児童公園】
痛々しいほどに傷ついたキハ2。
野口線2つ目のレールが残る踏切跡を過ぎてほどなく、円長寺駅跡に着く。
ここは児童公園となっており、片隅にキハ2が保存されている。しかし、荒廃著しく、得てして保存車両はそうなのだが、見なければよかったという後悔に似た気分にさせる。
■ N地点(別府川)
【N地点 別府川】
右が別府港側。
『鉄道廃線跡を歩く』に書かれていた通り、かなりかすれてはいるが、塗装時期が昭和53年という文字も読めるし、そもそも遊歩道の橋にしては無骨すぎるので、鉄道のものに間違いないなかろう。
昭和53年ということは、まさに初めて沿線を歩いたときで、当然この橋も見ているはずなのだが、何も思い出せないのが情けない。
■ O地点(野口駅跡)
【O地点 野口駅跡】
歩道が別府鉄道跡、左の道路が高砂線跡。
左手に台車などが展示された
野口駅跡のモニュメントがある。
N地点の橋を過ぎるとほどなく廃線跡はカーブし、立派な道路に化けた旧高砂線と合流、一方、別府鉄道跡は広い歩道となってしばらく並走し、写真の野口駅跡に着く。
合流直前の踏切跡に緩やかにカーブするレールが残っており、これで踏切跡にレールが残る箇所は、都合土山線が2箇所、野口線が3箇所ということになる。
別府鉄道跡の幅広い歩道の先を見ると、いかにもポイントで高砂線に合流していたことを物語るように歩道が先細りになっている。とりあえずそこまで行ってみたが、そこにはやはり何も残されてはいなかった。
かつて、ここ野口で別府鉄道のキハ101に乗り遅れ、別府港に向かって歩き始めたのであるが、当時、まさか20年後に廃線となった別府鉄道をこうして再び歩くことになろうとは思いもよらぬことであった。
【1999年7月25日現地、同年8月記】