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タイトル
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 盆休みに入った8月12日の日曜日、再び兵庫港貨物線跡へ。平日に突堤をうろうろするのは、荷捌きの邪魔になりそうなので、敢えて日曜日を選んだのであるが、この日も暑い一日であった。
 今回は、車を中央卸売市場の近くに置いて、探索を再開。

F地点(兵庫港駅跡)
 

F地点  【推定線路跡表示】
通行止めであったが、この先のグラウンドが兵庫港駅跡。
野球に興じる少年たちの姿が、白くポツポツと見える。

 E地点の中央卸売市場の分岐点から200mほど進むと、まず第三突堤に向かう線路が分岐する。一方の第一、第二突堤への線路は、大きく左にカーブして、兵庫港駅に至るのである。
 その兵庫港駅への進入箇所は、今でもそれらしい雰囲気が残っていて、一目でわかる。ただ、兵庫港駅跡は、新川駅跡と違ってグラウンドに整備され、子供たちが少年野球に興じていた。

G地点(第一突堤付近)
 

G地点  【推定線路跡表示】
中央の青い煙突に『黒田食品』とあった。

 兵庫港駅の北端から第一突堤に延びる線路跡は、倉庫の間をすり抜けるように残っている。事情を知らない人が見たら、カーブした進入路なんて、変わってるな、と思うだろうが、鉄ちゃんにとっては、感慨深いカーブである。ほら、目を閉じてごらん、線路のイメージがよみがえ・・・ん?酒粕のにおい。
 現実に戻されて、倉庫の看板を見上げれば、『黒田食品』とある。奈良漬で有名な食品会社であった。

H地点(第一突堤)
 

H地点  【推定線路跡表示】
緩やかに弧を描いて配置された倉庫で、
線路が存在したことを偲ばせる。

 第一突堤に居並ぶ倉庫群に沿って、線路が敷かれていたはずであるが、今はトラックの積み込み場となっていて、それらしい痕跡はひとつも残っていない。
 人の少ない日曜日を選んだのだから、当たり前なのだが、人気のない倉庫群はひときわさみしい。おまけに阪神大震災で被災したのか、傾いた倉庫も散見され、わびしさが募る。

I地点(第三突堤)
 

I地点  【推定線路跡表示】
長さにして、20mほどの線路が残っていた。

 一旦、中央卸売市場に置いた車に戻り、第一突堤から順に走ってみる。突端に行ってみると、逆に休日のため、釣り客の車が多く出ていて、静かな倉庫群とは対照的な賑わいであった。
 第一突堤に続いて、第二突堤も同じような状況で、線路跡らしきものは見当たらない。最後の第三突堤に入ろうとすると、視野に線路らしいものが入り、慌てて車を止める。
 果たして、駐車場の路面に複線の線路が残されていたのであった。前後の線路は整地されて全く痕跡はない。それだけに、この駐車場の線路は、貨物線があったことを示すモニュメントのようであった。
 そんな貨物線のモニュメントを、探索の最後に見つけたことに何か因縁めいたものを感じながら、兵庫突堤を後にしたのであった。

【2001年7月22日・8月12日現地、同年8月記】



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