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タイトル
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 慌しい日々がつづき、ちょっと一休みというか気分転換をしたいと思った10月のある日、半日だけ会社を休んで山陽電鉄の廃線跡を歩いてみた。もちろん山陽電鉄は現役であり、正確には切替による旧線跡と言うべきか。
  兵庫駅コンコース

兵庫駅コンコース


 神戸からJRに一駅だけ乗り兵庫駅へ。すぐ近くなのに下車するのは久しぶりだ。
 隣の神戸駅と同様、駅周辺は一変したが、駅そのものは古く、丸い柱と高い天井がいかにも『コンコース』という雰囲気で結構気に入っている。確かコンコースの片隅に鉄道コーナーがあったはずと見渡すと、どうやら最近JR駅構内に増殖している『ハートイン』というコンビニに化けてしまったようだ。
 さて、山陽電鉄であるが、1968年(昭和43年)4月、神戸高速鉄道(三宮〜西代)の開業により、阪急・阪神などと相互乗入れを始めるまで、ここ兵庫駅の北側(山側)が山陽電鉄の終点であった。
 ちなみに南側(浜側)からはJR和田岬線が出ており、中央市場などへの貨物線跡もあるのだが、それはまた別の機会に歩くことにしよう。

A地点(兵庫駅跡)
 

A地点  【推定線路跡表示】
正面の白い建物が山陽電鉄兵庫駅跡。
右手奥にJR山陽本線の兵庫駅が見える。

 山陽電鉄の兵庫駅跡とおぼしき場所は、兵庫勤労市民センターとなっていて、地形にかすかに面影は残っているものの、いかんせん時が流れすぎている。
 近くの店で尋ねてみたら、「ここまで来てたそうだけど、その頃のことは知らない」という返事だった。人の出入りの激しい街中で、昔話を聞こうとする方が無理だったか。

B〜C地点(大開通り合流地点)
 

B地点  【推定線路跡表示】
国道28号線(大開通り)の歩道から臨む。
山陽電鉄旧線は右手の並木のあたりを
走ってきて、合流していたようだ。

 

C地点  【推定線路跡表示】
大開通りにかかる歩道橋から。
中央の茶色い建物のあたりが兵庫駅。

 昔の地図によると兵庫駅を出た山陽電鉄は、併用軌道(要は路面電車)で西北に向かい、地下に神戸高速鉄道が走る国道28号線に合流する。すなわち名義上は兵庫〜西代間の2.2Kmの廃止だが、神戸高速鉄道との切替区間が長く、実質的な廃線の距離はここまでの約700mである。
 国道28号線と言っても地元の人には『大開通り』と言わないと通じないが、大開といえばここから東側約500mにある大開駅が、地震に強いはずのトンネルが崩れた駅として有名になってしまった。当然地上の大開通りも大きく陥没し、何とか確保された1車線を、地中に落ちてあさっての方向を向いた信号機や街灯を横目におそるおそる通ったことが思い出される。
 合流地点の角に昔ながらのたばこ屋さんがあった。そこでもう一度チャレンジ。お愛想でちょっと買物をしてから、おばちゃんにおもむろに尋ねる。
「昔、この前を山陽電車が走っていたんですよね」
「ああ、この前の道路を走っていたよ。ずいぶん昔のことだね」
 懐かしいことを聞いてくれるじゃないかという笑みを浮かべて答えてくれた。
「でも今はすっかり変わってしまって、特に震災後はね・・・」
 たばこ屋さんの店先からふと見上げると神戸西市民病院。ああ、震災で途中階が崩壊して多くの入院患者や看護婦が生埋めになる被害が出た病院だと気付く。

D地点(長田駅跡)
 

D地点  【推定線路跡表示】
右手奥の建物が長田警察署。
ここに旧長田駅があったと思うのだが。

 おそらく旧長田駅は今の長田警察署のあたりだろう。今の高速長田駅はここより少し神戸寄りの地下になる。
 ちょうど阪神高速山手線の地下工事のため騒々しい雰囲気で、いよいよ鉄道跡らしい雰囲気はない。長田警察の道路向かいも高層の震災復興住宅が並び、状況が一変している。あの焼け野原となってしまった菅原市場もここから南に少し下りたところだ。



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