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山陽電鉄 路線図
■ E地点(西代駅付近)
【E地点 西代駅付近】
西代の手前は廃線跡らしい雰囲気だ。
(兵庫方を臨む)
昭和43年、神戸高速鉄道となり地下を走ることになった旧山陽電鉄は、長田〜西代間で地上に出て、現在の山陽電鉄の起点である西代駅に至り、神戸高速鉄道への切替区間は終わる。
しかし、少々話はややこしくなるが、1995年6月の震災復旧時に、震災前から工事を進めていた西代〜東須磨間の山陽電鉄としての地下新線に切替えられ、今の地上は廃線跡の風情となっている。トンネル出口跡はないかと探してみたが、さすがに埋められているようで見つけられない。そうなると、つい最近切り替えられたというのに、どこが出口だったかさっぱり見当がつかない。自分の記憶の頼りなさを嘆く。
■ F地点(西代駅跡)
【F地点 西代駅跡】
中央にあるのは昔からの地下道入口。
写真では分かりにくいが、現在の
地下駅入口は右奥にある。
既に駅舎の姿はなく、中途半端な空地に地下駅への入口を示す看板が立っている。確かに地下駅入口は、少し離れた場所でただの地下道の入口然としているので、久しぶりに来た人は看板がなければ「駅が消えた!」と焦るかも知れない。私自身も一瞬そんな感覚に襲われてしまった。
ところで、西代は駅前に山陽電鉄の本社ビルも建ち、名実ともに山陽電鉄の起点と言いたいところだが、今はここを始発、終着とする電車はなく、神戸高速鉄道に続く単なる中間駅となってしまっている。特急電車に至っては通過してしまうほどで、おそらく乗客の中に山陽電鉄の起点を意識する人はまずいないであろう。
昔の地図ではその本社の横に引込線が敷かれ、おそらく兵庫駅着の電車をここまで回送して留置したり、簡単な修理・検査などもしていたのだろう。引込線自体は最近(地下切替直前?)まであったように思う。
■ G地点(西代〜板宿間)
【G地点 西代〜板宿間】
旧線跡に並ぶ仮設住宅。
左の赤い道路橋のあたりが西代駅。
西代を出ると急カーブを切って板宿に向かう。通過する特急も徐行して、キーキーとフランジを軋ませていた記憶がある。
しばらく行くと、線路跡に仮設住宅が30戸くらい、既にすべて空家となって並んでいた。皮肉なことに、仮設住宅の部分だけ線路のバラスト(砂利)も残っており、鉄道跡らしさが一番感じられた場所であった。震災後急がれた仮設住宅の建設で、しっかりした鉄道路盤を整地する必要も、時間もなかったのだろう。
しかし、震災からもう5年近い、仮設住宅も鉄道路盤も役目を終えてしまった。早晩すぐ横の道路の拡幅に呑み込まれ、姿を消してしまうに違いない。
*今日、たまたま板宿を通りかかると仮設住宅の解体が始まっていた。姿を消すのは予想以上に早いようだ。(1999年11月13日加筆)
■ H地点(板宿駅)
【H地点 板宿駅】
逆光でわかりにくいが、中央左下で2つ口を空けた
ような建物が板宿地下駅入口。
右は震災後再築された商店街のアーケード。
板宿(『いたやど』と読む。東京の友人に『いたじゅく』と言われたことがあるので念のため)は、西代と違って元の駅のあたりにそれらしい駅舎が建っているので、間違うことはなかろう。
板宿へは月に一度くらい車で来ることがあるので、勝手はわかっているつもりだが、ほんの数年前まで電車が走っていた線路跡の道を車で走ると、やはり何か足(タイヤ?)が地につかないような落ち着かない気分になる。
■ I地点(東須磨付近)
【I地点 東須磨付近】
東須磨駅ホーム東端から板宿方のトンネルを臨む。
鉄道写真で後追いは避けるのだが、このアングル
でないと、トンネルが写らないので特例措置。
板宿を出てしばらくすると、ようやく線路が地下から顔を出し、地上駅の東須磨駅に着く。ということで、東須磨駅自体の雰囲気はそれほど変わっていない。
ここまでぶらぶら歩いて約2時間、線路跡を歩くのはこれくらいがちょうどいい。それにしても今回は図らずも線路跡を歩くというより、震災跡を歩くという感じになってしまった。
東須磨から神戸に帰ろうと電車を待っていると、東須磨折返しの阪神電鉄からの乗入車両9000系が入線してきた。高速神戸での下車は一番前が便利なので、先頭車両に乗ると始発駅でもあり他に乗客はいない。「ああいけない、歳を考えねば」と心では思いながらも、身体は鉄ちゃん指定席の運転席後ろのかぶりつきの席に吸い寄せられてゆく。
子供用にたまたま阪神電鉄のトレインシミュレーターのソフトを買っていたので、運転台をのぞきこむと、本当に同じだ。(当たり前)
「ふんふん、なるほど、発進時はやはりフルノッチでいいのか、あ、ノッチは意外と早く切るんだな、ほお、ブレーキは駅の直前でいいんだ、うーむ参考になるなぁ・・・」
すみません、そのとおり、トレインシミュレーターは、子供を出汁に自分が遊ぶために買ったもの・・・・・
【1999年10月現地、同年11月記】