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 最初から言い訳がましいが、結果的に今回の廃線跡の成果はほとんどなかった。
 『夢の跡綴り』として加えるのも気が引けるのであるが、そのへんの理由は、順を追って読んでいただければ、お分かりいただけるだろう。
  3000形

本文とは直接関係ないが、
鵯越駅に進入する3000形

 神戸電鉄は、神戸(新開地。正確には新開地〜湊川間は神戸高速鉄道)から北へ向かい、神戸のベットタウンである鈴蘭台で東西に分岐、東は有名な有馬温泉や、こちらも大阪のベットタウンとして急成長した三田に至る有馬線、三田線、そして西は三木、粟生に至る粟生線などの計69.6Kmの私鉄であるが、地味な存在なせいか、一般にも鉄ちゃんにもあまり馴染みのない鉄道のように思える。
 神戸は海と山が近い。ということは神戸から北に向かう神戸電鉄は、すぐ山に入り、いきなり40〜50パーミルという急勾配が待ち構えており、さながら登山電車の様相である。
 初めて神戸電鉄で山越えしたのは、新入社員の頃、同期で有馬温泉に行ったときで、街中の駅からほんの10分ほどで、人家もない山中をうねうねと上り、ほどなく住宅の建ち並ぶ鈴蘭台に着くのを体験して、鉄ちゃんでありながら、カルチャーショックに近いものを感じた記憶がある。

 さて、今回の廃線跡であるが、その山中、駅名でいけば菊水山〜鈴蘭台の一部約1.5Kmの区間である。この区間は谷あいの烏原川を縫うように走っていたのだが、逆に谷あいが好都合だったのか、ダム建設により水没することになり、平成6〜7年にかけて、新線に切りかえられ、ほとんどトンネルとなってしまった。
 当時の新聞(神戸新聞)でも神戸電鉄談として、「トンネルのほうが安全。ただ車窓の風景が売り物だったのだが」と複雑な表情と紹介されている。
 既にダム工事は始まっているようだが、電車からちらっと見える旧線は、一部は工事用道路になっているものの、原形をとどめているものもありそうだ。
 話しは違うが、私は例年、年賀状に古い鉄道写真を使ってきたのだが、どうもタネ切れで、何か題材はないかと考えているうち、2000年か、そうだ神戸電鉄の2000形を撮ろうと思いついたのであった。
 ということで今回は、年賀状用の2000形撮影と、廃線跡めぐりを兼ねた一石二鳥の計画なのであった。
 (それにしても今年の年賀状は日本中の2000系が大活躍したのではないだろうか)

 今の住まいは実は神戸電鉄の箕谷駅に近い。そこから乗車し、まず鈴蘭台で降りた。撮影ポイントは鈴蘭台側の新線と旧線の分岐点あたりと考えていたので、先に年賀状を押さえようと思ったのである。
 鈴蘭台から神戸電鉄の線路沿いの道路をしばらく行くと神戸電鉄の社宅があった。ちょうど社宅の一斉清掃の日だったのだろうか、若いおとうさん達が総出で草刈などをしていた。自分の社宅住まい時代を思い出す。
 

鈴蘭台車庫 (地図を表示)

 そこからすぐ神戸電鉄の車庫がある。鈴蘭台の駅からは1Kmほど、もう町の外れで、車庫の脇を抜けると地図上では道は途切れ、山中に入ることになる。
 ただ、工事用道路が続いているのは分かっていたので、その道に入ると、えっ?しっかり門番がいる。
「この道を行けば菊水山に着きますね」と白々しく尋ねると、案の定、
「いいや、この道は工事車両専用だからね、途中で行き止まり。登山道は向こうだ」
 うーん、登山ではなく、廃線跡なのだがと言ったところで通用しないだろう。文字どおり門前払いであった。
 でも、どこかに人が歩けるくらいの道があるんじゃないか、とうろついていると、ふっと気配を感じる。振り向くとさっきの門番が後をついてきているのであった。こりゃいかん、不審者に見られている。ということで、諦めて鈴蘭台駅へ戻り、電車で菊水山駅へ行くことにする。



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