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番外4 ナロー編その8 大洞鉱山
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■ 上有住
ある日、NHKのニュースを見ていると、最近は写真を撮る女性が増えたと報じていた。
ニュースでは、「男性は記録として撮り、女性は記憶を撮る」と解説され、いささかステレオタイプな見方と言えなくもないが、私自身、「記録」を意識することが多いのも事実である。
でも、下の写真には、当時の心細い「記憶」が色濃く刷り込まれている。
1976(昭和51)年7月、初めて東北を旅した。それまでは親戚の多い九州が中心だったので、九州との風土の違いに戸惑うことも多かった。
そうして訪ねた釜石線の上有住駅。客を待つバスが、ぽつんと停まる寂寥とした駅前の光景と、一人旅の淋しさがシンクロして、思わずカメラを向けたのであった。(さらに下の写真は、現在(2009年12月)の様子)
かの駄菓子さんがテレビ出演(東京在住なのに、なぜか関西ローカルの『大阪ほんわかテレビ』)を果たしたとき、「歳とってくると、昔行ったところにもう一度行ってみたくなるんですよね」とコメントしていたが、まさに同感。
昔のネガをデジタル化する作業中に、この上有住駅の写真を見つけ、引き寄せられるように再訪を決意したのであった。
地図で確認すると、今は『仙人峠道路』という自動車専用道ができていて、格段に交通の便はよくなったようだ。
ただ、今回はレンタカーを使ったにもかかわらず、仙人峠道路ではなく、岩手開発鉄道の石橋駅を経由して、昔からの山道を越えて上有住駅に入ったのであった。途中の峠あたりは行き違いもできない1車線の山道であるが、石橋からは10キロほどで、20〜30分もあれば着いてしまう。
かつてのロッジ風の駅舎や日通の事務所は土台のみを残して跡形もない。よっぽど今の方が侘しく見えるが、やはり今の写真は『記録』でしかなく、33年前の写真のほうに淋しい『記憶』が感じられるのだが、どうだろう。モノクロだし、個人的な感傷にすぎないかも知れないが。
ちなみに停まっているバスは陸前高田行き。今もバス停はあるが、行き先はずっと近くの『八日市』となっていた。
当時のネガをみると、上有住駅を降りてから、反対側の山の中腹に登り、駅を俯瞰している。停車しているのは、キハ52+キハ51+キハユニ26だろうか。
今回も同じアングルで撮ろうとしたら、山に登る道が封鎖されていて、断念せざるを得なかった。(というわけでカーソルを置いても写真は変わりません)
山の中腹からは、ホッパー車ホキ2100形の入換作業(左)や、そのホキ2100形をDD51形機関車が牽引して発車するシーン(右)も眺めることができた。
そして、目を転じれば、この日の目的地である大洞鉱山が遠望できるのであった。
おりしも石灰石を満載した鉱車がやってくるのが見える。