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■ そして上有住
少々ややこしい話になるが、陸中大橋の釜石鉱山での軌道めぐりに続けて、上有住へ向かったわけではない。
隣の駅だから車で簡単に行けると思ったら、山越えをしなければならず、天然秘水の軌道めぐりで時間もなくなり、断念してしまったのである。
そのときは、E609に再開できたことでよしとするつもりだったが、元々は昔の上有住駅の写真がきっかけだったはずなのに、再訪せずしてなんとする。神戸に帰ってそんな気持ちが強くなり、翌月、半ば強引に上有住駅へ向かったのであった。
ということで、(そんな細かいことはどうでもいいだろうけど)陸中大橋が2009年11月、上有住が12月という表記は正しいのである。
冒頭の上有住駅の写真で、土台だけとなってしまったと書いたが、その土台に備えられた階段を上ると、右写真のとおり、ホームの脇に小さいながらも新しい駅舎が設けられている。
右側の妙な空間が土台の上、つまり元の駅舎があった場所だ。
新しい駅舎に入り、次の列車は何時かなと時刻表を見ると、もうすぐ快速『はまゆり3号』が通過するようだ。
と、その瞬間、列車が近づく気配。慌ててホームに出ると、目前に『はまゆり3号』が迫っていて、その姿を後追いでカメラに収めるのがやっとであった。
時間はたっぷりある。
せっかくなので、駅の近くにある『滝観洞(ろうかんどう)』に寄ってみる。もちろん33年前にもあったはずだが、当時は観光の余裕はなかったので、まったく記憶がない。
自動販売機で入洞券1000円也を購入し、受付で示すと、中の男性から「ヘルメットと長靴をお貸ししますから」と隣の更衣室に案内される。そして「これも着られたほうが」と派手なパーカーが差し出された。
なんだか大げさだなあ、と思いながらも勧められるまま身支度をする。珍妙な姿に我ながら苦笑い。
「もし、晩になっても帰らなかったら探しに来てくださいね」と軽口をたたいて入洞。
でも、洞内に入ってみると、あながち軽口と片付けられないと痛感させられる。なにしろ狭くて中腰で歩かざるを得ず、何度も頭をぶつける。天井からぽたぽた湧き水が垂れてくるので、身体も足元もびしょびしょ。ちょっとした探検気分だ。ヘルメットにパーカー、長靴は必携なのである。鍾乳洞というと、広々とした空間をイメージしてしまうが、だいぶ趣が異なるであった。
1キロほど苦行を強いられてたどり着いたのは、洞内の滝としては日本一という『天の岩戸の滝』。『滝観洞』の名も、この滝からきたものだ。比較するものがないので写真では大きさがわかりにくいが、落差は29mもあるという。
ずいぶん手前から激しい水しぶきの音が洞内に響きだし、いざ滝の前に立つと、畏怖の念さえ抱くほどの迫力である。
なかなか引き返すきっかけをつかめず、激しく落ちる滝をずっと見つめていたのであった。後々の筋肉痛は避けられないが、お勧めのスポットだ。
滝観洞は若い鍾乳洞なので、つららのような鍾乳石がまだ育っていないそうで、それも他の鍾乳洞と違うと感じてしまうところだ。
そんな中、ほっと和ませてくれるのが『乳房』と名づけられた鍾乳石。まさに乳房以外に形容しようのない形である。自然界も粋な造形をするものだ。
滝観洞を出て、目の前の道を先に進めば、大洞鉱山に至る。今は行き止まりと言われたものの、受付の男性に断って、行けるところまで歩いてみる。
その道は、100mほど先の釜石線を渡ってすぐのところで、門扉によって堅く閉ざされていた。
33年前、本当にトロッコは走っているのだろうか、見せてくれるだろうか、どきどきしながらここを歩いていったんだ。門扉の奥へ続く道を眺め、しばし感慨にふける。
前に書いたとおり、33年前は大洞鉱山を訪ねたあと、陸中大橋へ向かったのであるが、上有住駅のホームでは、駅長以下3人揃い踏みで下り列車を待ち構えていた。
その様子を撮った写真で、締めくくりとしよう。
シャッタータイミングが早すぎるが、列車が入線すると3人の態勢が崩れてしまうかも、と焦った記憶がかすかに残っている。
無人駅となってしまった今の上有住駅では、二度とない光景である。33年の歳月の流れを思う。
【1976年7月・2009年11〜12月現地、2010年2月記】