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今年(2013年)4月下旬、ANA国内線に乗ったときのこと。いつものように座席のポケットから、機内誌の「翼の王国」4月号を手に取り、ぱらぱらとページをめくっていると、何やら黄色い車両らしき写真が通り過ぎた。「もしや」とページを戻すと、それは紛うことなき屋久島電工のモーターカー。写真では、橋梁上に停まったモーターカーの前で、実直そうな職員が一人立っている。
航空会社の機内誌に、場違いと言っては失礼ながら、屋久島電工の軌道とモーターカーは異彩を放っている。何の記事かと思ったら、「おべんとうの時間」というコラムであった。もちろんテーマは、写真に写っている屋久島電工の職員のお弁当だ。このコラムは、単行本になるほど人気があるが、屋久島電工を取り上げるとは、「鉄」にとってはうれしい限り。
改めて写真を見ると、モーターカーは、さすがに35年前に訪ねたときの堀川工機製ではなく、銘板に北陸重機とあるのが読める。でも、軌道の雰囲気は、ほとんど変わっていないように感じられる。
なつかしい。
家に帰ってから、早速35年前の写真を引っ張りだしてみると、当時にしては思いのほか数多くの写真を撮っている。
そこで、今回は、これらの写真を中心にまとめてみた。
ただ、
当時の紀行文を読み返しても、若気の至りとはいえ、強引に添乗するなど無茶をして現場には大変な迷惑をかけた。そうして撮影した写真を公開するのは、ちょっと気が引ける。おまけに現役路線でもあるし。
でも、なつかしさには抗しがたく、掲載に踏み切った次第。なお写真は、当時の訪問をトレースするために、撮影した順番どおり忠実に並べている。あれもこれもと欲張ったので、枚数だけは多くなってしまったが、車両の写真は少なく、橋やトンネルなどの写真が延々と続くのは予めご了承のほど。
最後に、無茶をした私が言えたものではないが、今は時代が違う。
当時は登山者も、軌道を登山道代わりに使っていたが、今は立入禁止のはずだ。自己責任としきりに言われるが、いざ事が起きれば、企業の責任が厳しく問われてしまう時代だ。くれぐれも軌道に無断で立ち入ったりしないよう、お願いしたい。
■ ■ ■
【写真1】
苗畑を訪ねたのは、1977年8月上旬。正確な時間は思い出せないが、おそらく7時前後だったと思う。
添乗を言い出せないまま、モーターカーが、作業員を乗せたトロッコを牽いて去っていく。
【写真2】
続いてDLが牽くトロッコの仕業だ。トロッコの上に仁王立ちとなって、バラストを積む姿をシルエットで。
苗畑付近は、切り通しのような地形になっていて、それをうまく利用した積み込み作業だ。
【写真3】
DL列車をどこかで撮ろうと、山に向かって歩き出す。この安楽橋は、確か最初の橋だったはず。
この先、ほとんどの橋に銘の入った標杭が打たれていて、なるべくその標杭を入れて、写真を撮っていった。
【写真4】
軌道はすぐに深い切り通しへ入っていく。
この写真は、苗畑のほうを振り向いて撮ったもの。
【写真5】
比較的大きな横谷橋。
この橋を渡ったところで、
アルバムのページに載せたDLに牽かれたトロッコの写真を撮ったのであった。(右の写真はアルバムから再掲)