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【写真集】屋久島の軌道
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【写真36】
本文では、柵を乗り越えてと書いたが、実際は横をすり抜けて奥へ向かうと、安房川の支流、荒川に架かる橋梁に至る。
橋の名は覚えていないが、縄文杉などへ向かう登山道に入ったこともあって、欄干も設けられたこの橋の写真は、よく見かける。
ネットで検索したら、なんとグーグルのストリートビューでも見られて、思わず見入ってしまった。屋久島登山を自宅でバーチャル体験できるようになるとは、もちろん当時は夢にすら思っていなかったことである。
【写真37】
ネガを見ると、まずは橋は渡らず、荒川登山口へ向かっている。
その登山口にぽつんと停まっていたモーターカー。屋久島電工のものより一世代以上、古い感じだ。
【写真38】
そして荒川を渡り、ひんやりとしたトンネルを抜けると、忽然と森林鉄道の車両たちが現れて大興奮。
まずは、本文にスノープロウと書いたこの車両?だ。
正面から撮った写真は、逆光で真っ黒になってしまったので、後姿を。重石を載せているところがご愛嬌。
本当にスノープロウだったのかはわからずじまいだが、改めて写真を見ても、そうとしか思えないのだけど・・・。
【写真39】
カバーをかけられたDL。ラジエーターのSKWのエンブレムから、酒井製作所製とわかる。
実はこのページの写真36〜40は、何をしくじったのか、フィルムが現像不足になってしまったのを強引に補正している。そのせいで階調が破たんして、単色のはずのDLのカバーが、まだら模様になってしまい最悪の画質だ。
その他のページの写真もコントラストが強すぎたりして、補正に苦労した。モノクロフィルムは、もともと高コントラストのトライXである。まさに後悔先に立たずだが、フィルム現像の際、もっとしっかり現像液の温度や現像時間を管理すべきであった。
【写真40】
今にも走り出しそうな、いや実際は走っていたという車両たち。
機関車前部に旗が立っているが、何かと思ったら、鹿児島大学のものであった。登山中に見つけた車両たちに、ちょっと遊び心が芽生えた?
【写真41】
帰りの発車場所を勘違いしていることに気づき、必死に下りてたどりついた発電所。トンネルの前で、ぽつんとモーターカーが停まっていて、なんとか間に合ったと、ほっとする。
【写真42・43】
苗畑に帰ってから撮影したモーターカーの銘板(左)とDLの銘板(右)
写真では製造年月が読み取れないので転記すると、モーターカーが昭和49年12月、DLが昭和52年6月とある。
訪問したのが1977(昭和52)年8月だから、DLは新造から2か月と、ばりばりの新車だったわけだ。
車両ばかりでなく、これまでの写真でもおわかりのように、橋梁の更新や補強、枕木の交換など、軌道もしっかり整備されていた。
ウィキペディアによると、軌道が屋久島電工に払い下げられたのが1975(昭和50)年、つまり訪れた2年前のことだ。
もしかしたら、払い下げ後の整備がちょうど大詰めを迎えたころだったのかも知れない。
【写真44】
トロッコ改造中。
ただ、残念ながらこの日は完成には至らなかった。
【写真45】
DLから伸びたエアホース。