ローカル私鉄紀行第一弾は明知鉄道。
元国鉄明知線で、1985(昭和60)年、第三セクターに転換された路線だ。長く腕木式信号機とタブレットを使っていたことでも有名であった。
ただ、第一弾ののっけから何だが、そう紹介しておきながら、腕木式信号機とタブレットはもう見ることはできない。『ローカル私鉄なるほど雑学』にも書いたとおり、今年(2004年)3月24日をもって廃止されてしまったのである。
本当は、もっと早く出版するつもりが、原稿が遅れに遅れてしまったために過去形とせざるを得ず、悔いの残る結果となってしまった。
それにしても、今年は1月に名松線の腕木式信号機が消えてしまったと思ったら、3月7日にはJR石勝線の腕木式信号機も廃止されたとの報があって、今年は腕木式信号にとって厄年のようでさえある。
ただでさえ残り少ない腕木式信号機、その終焉が近づいている危惧を感じざるを得ない。
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腕木が横向きで『停止』を示す。
腕木が下がって『進行』を示す。
←画面に触れると信号が変わります。
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■恵那から岩村へ
ガバっと飛び起きると、5時45分。
5時半に目覚ましを合わせていたのだが、寝ぼけたまま消してしまったようだ。15分後に目が覚めるとは奇跡的である。あぶないあぶない。
前日から用意していた朝食をとり、6時20分すぎにはホテルを出る。
泊まったのは、JR中央線恵那駅に近いビジネスホテル。設備はそれなりに古く、100円玉を入れないと見られないテレビ(AVじゃなくて一般放送だから念のため)も、ある意味なつかしい。
恵那駅は、JRと明知鉄道の改札がきっちり分かれている。元は同じ国鉄だったのだから、おそらく第三セクターになってから分けられたのだろう。
ホームで待っていたのは、アケチ11単行。6時42分発だから、がらがらと思っていたのに、クラブの早朝練習だろうか、意外に学生が多い。
座ろうと思えばボックス席が少し空いていたが、カッターシャツの裾をだらしなく垂らした男子高生が横たわっていて、正直うっとおしい。しかたなく運転席後ろの車椅子用のスペースに立つと、今度は向かいに茶髪の女子高生が乗り込んできた。男子高生といい女子高生といい、いまどきの子と言ってしまえばそれまでだけど、なんだかなあ。
ただ、茶髪の女子高生が、友達のネックレスを手に取り、ちょうど輪になった飾りを薬指に通して、「ほら、エンゲージリング」「ちいさ〜い」「ウフフ」と話しているのを聞くと、古い言葉だが、やはり夢見る乙女、少しほっとするのであった。
その明知鉄道、聞いていたとおりとはいえ、30パーミル前後の勾配が続き、予想以上にアップダウンの激しい鉄道だ。
途中の阿木駅は、かつては交換施設があったようで、名残の腕木信号柱が残っている。ここで大勢の女子高生が降りたと思ったら、制服の違う女子高生がまた大勢乗ってきて、あまり車内は空かない。このまま第一の目的地、岩村駅に到着した。