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余録/法華口界隈


 法華口駅の駅舎の横に燦然と輝く三重塔。
 駅から5キロほどの山中にある一乗寺の三重塔を模したものだ。


法華口駅の三重塔shadowshadow


 法華口駅へは頻繁に出かけているので、この塔は見慣れたものだが、やはり本家本元の三重塔を見なくては始まらないと、一乗寺へ出かけてみた。
 交通の便の悪い山中とあって、一乗寺は静寂に包まれている。そんな雰囲気が気に入って、改めて家族を連れてきたこともある。
 撮り鉄をしていると、列車の時刻ばかり気になるが、たまにはそんなことは忘れて、ゆったりとした時間を過ごすのもいいものだ。


一乗寺の三重塔shadowshadow



 同じ法華口駅から、一乗寺とは反対の方角には、鶉野飛行場跡がある。
 もともとは戦時中の陸軍の飛行場で、戦争末期、特攻隊も出撃したという。当時、近くには川西飛行機(現・新明和工業)の工場もあって、戦闘機の紫電や紫電改を生産していたそうだ。その紫電改は北条鉄道も無縁ではない。1945年3月、エンジン不調で不時着を試みた紫電改が、網引〜田原間の線路に接触する事故を起こした。そのため線路がゆがみ、直後に通過した列車が脱線転覆、乗客など12名が亡くなるという大惨事があったのである。
 戦後、鶉野飛行場は自衛隊に帰属したこともあって、奇跡的に滑走路がそのまま残っている。
 ここから70年前、爆音をとどろかせ、特攻機が飛び立っていった。還ることを考えない出撃である。そもそも理不尽な戦争で、特攻はさらに輪をかけて理不尽な戦術だ。若い特攻隊員たちの心中は・・・。
 今、飛行場跡の傍に立ち、滑走路を見渡す。もちろん、爆音などは聞こえない。しかし、その静けさは一乗寺とは全く異質で、重苦しいものなのであった。

 先日、NHKのローカルニュースで、鶉野飛行場跡を活用するため、国から加西市に払い下げられると報じていた。画面には、滑走路の一部を道の駅や駐車場に転用する計画図が放映されて、愕然とする。
 慌てて加西市のホームページで確認すると、活用策は決まっておらず、道の駅はその一例とわかり、ほっとする。
 個人的には今のままそっとしておきたいとの思いは強いが、地元の人にとっては、1キロ以上もの細長い空地が放置されているのも困りものだろう。
 無人駅で荒れていた法華口駅は、鉄道とは無関係のパン屋が開店して、活性化したのは間違いない。戦争遺跡に関係のない施設でも、地域が活性化できればいいじゃないかと言われたら、返す言葉がない。
 余所者は静かに成り行きを見守るしかなさそうだ。


鶉野飛行場跡shadowshadow


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