再び三岐鉄道北勢線に出向いたのは、翌2004年6月、できあがった『ローカル私鉄なるほど雑学』を、お世話になった三岐鉄道の本社の方に届ける道すがら、立ち寄ったのであった。
前日、やはり桑名に泊まり、翌朝、西桑名発6時22分、当時の2番列車に乗る。
発車を待っていたのは連接車の200形。前回訪問時は近鉄色のままであったが、三岐色に塗り替えられ、面目を一新している。
まだ早朝ということもあり、車内は若干の通勤風の客と朝連の女子高生くらいで、さすがに空いている。
その女子高生たちは、乗車するなり弁当を広げて朝ごはん。ロングシートの狭い車内で食事なんて、などと野暮な文句は言わない。まだ6時半前である、朝ごはんを家で食べる間も惜しかったんだよね。
で、食べ終わったら、横になってひと寝入り。他のお客もみんな寝ている。やっぱりまだ朝早い・・・。
まず下車したのは穴太(あのう)駅。予め地図で穴太〜六把野(現在は廃止)間に田園地帯が広がり、撮影に向いていそうだと確認していたのだ。
ちょうど集団登校の小学生や、自転車通学の中学生が行き交い、なんとか電車のタイミングと合わせたかったが、残念ながら果たせず。
穴太駅に戻ったのは8時前。まだ通学時間なので、ホームでは数人の高校生が電車を待っていた。
そんな様子を撮って、電車をやり過ごすと、車内から女子高生が愛想良く手を振ってくれている。
おおっ!と、とっさにカメラのスイッチを入れるが、悲しいかな初代キスデジは起動に数秒かかってしまい間に合わない。シャッターを押すかわりに、右手を軽く挙げて見送るしかなかったのであった。
その後は楚原に向かう。駅を降りると「電車の乗り口がかわります」との掲示が目に入った。
サブタイトルに「上り電車・下り電車の、のりばが逆になります」とある。
もう説明するまでもなかろう。右側通行の交換駅が、一般的な左側通行に切り替えられたのだ。前年に訪れたとき、職員から順次左側通行にすると言われたことが、着実に実践されている。
掲示によると、切り替えられたのは、馬道駅が(2004年)4月10日、在良駅が4月17日、七和駅が4月24日、楚原駅が5月1日と1週間おきだったようだ。
楚原からは少し歩いて、築堤や有名なめがね橋を渡る列車の写真を撮り、その足で三岐線の三里駅へ。
そう、そこから三岐鉄道本社のある富田へ本を届けに向かったのであった。