自分でもよくわかっている。一度火が付いたら止まらないという悪い癖を。
実は、ほんの数時間のくりはら田園鉄道では飽き足らず、初訪問の10日あまり後、再び訪れてしまったのである。こうなると本当に我慢の利かない子供のようなもので、我ながら手に負えない。
そう言いながら、この原稿を書いているのは2007年8月、くりはら田園鉄道はとっくに廃止されている。本当は廃止前に更新しようと思っていたのだが、果たせないままになってしまった。
今になって、という気もするが、お蔵入りさせるのももったいないなと思い直してアップすることにした次第。
さて、このときも、出張に引っ掛けたのではあるが、そんなに都合よく仙台の仕事があるはずもなく、有給休暇をとって東京出張の足を延ばし、くりはら田園鉄道に向かったのであった。
今回の目的は、撮影よりも腕木式信号機や閉塞器をじっくり観察するということであった。
というのも前回は、くりはら田園鉄道に腕木式信号機が残っていることをすっかり失念したまま行程を組んだため、撮影することすらほとんどできなかったからである。
全国的にもほとんど残っていない腕木式信号機が鉄道の廃線とともにまた消えようとしている。これはぜひ記録に残しておきたい、そう思ったのであった。
2006年11月某日午後、東京から東北新幹線で古川まで乗車、そこでレンタカーを借り、まずは沢辺駅付近へ。もう日没を迎えてしまい、幻想的な光景と言えなくもないが、撮影にはさすがに厳しい。
本当は沢辺駅で夜の腕木式信号機を撮ろうと思っていたのだが、予想以上に暗いため、諦めて予約していた若柳のビジネスホテルにチェックイン。
翌朝、朝日に照らされた列車を撮ろうと勢い込んで沢辺〜津久毛間に出かけるも、一面乳白色のもやがかかり、撮影にはやはり厳しい。
今回は列車撮影はメインではないと言いながら、ちょっと気落ちする。
もやの中、無理やり何本かの列車を撮った後、メインイベントの腕木式信号機と閉塞器を目当てに沢辺駅を訪れたのであった。