翌朝、雨の中、何はともあれ武家屋敷や桧内川堤へ出かけてみる。危惧したとおり、武家屋敷のしだれ桜は散り果てて、桧内川堤の桜はかろうじて残ってはいたものの、有名なお立ち台から眺めも、ぱっとしない。
テンションがあがらぬまま、宿に戻って朝食をとる。シーズンとあって、食堂は観光客で満席だ。でも、桜も終わってしまい、おまけに雨とあって、「さて、今日はどうしたものか」と、なんとなく皆けだるいムード。
そういう自分はどうする?
やはり昨日行きそこなった阿仁合だな。ということで、途中何本か撮影しながら、北上する。
阿仁合に着くと、ひときわ雨が強くなり、やむなく車中で待機。阿仁合止まりの下り列車が到着する頃合いを見計らって、線路をくぐり、河川公園から築堤を見上げるように構える。気がかりなのは、築堤上の線路配置がわからないこと。駅の手前で分岐しているようで、場合によっては、列車が隠れてしまうかも。
そういう予感だけはよく当たる。列車はもっとも奥側に入線して、頭がちらっと見える程度なのであった。
しようがない、次の列車の撮影場所を探そうと歩き出すと、ピッとホイッスルが鳴って、到着した列車が引き上げられていく。おや?入庫するなら手前の線路に入るかもと、走って戻ってみる。これも予想は当たって、何とか列車の姿を収められたのであった。
というわけで、下の写真の列車には、乗客は乗っておらず、入換中のシーンなのである。
築堤沿いを小渕側へ歩くと、なんと真っ黒な砂で築堤が覆われている。何事かと思ったら、立て看板が目に入った。それを読んで疑問は氷解。
真黒な築堤の正体は、阿仁鉱山から産出した鉱石を製錬した残りかす「゚滓(からみかす)」だそうだ。阿仁合の町には、゚滓を土台にした家屋などもあるそうで、1978年に閉山した鉱山の名残が、こんな形で残っているのであった。
下の写真の左手の築堤が、その真黒な築堤である。
次の下り列車は、駅から少し離れた阿仁川に架かる橋の上から望遠で狙う。もう少し高い位置で撮るべきと思いながら、雨の中を歩く気がおきず、おざなりの撮影だ。案の定、列車の足回りが隠れてしまい、写真は省略。
河川公園に戻ると、雨の中、幼い女の子を連れた一組の家族が来ていた。お父さんがお母さんと女の子の記念写真を撮っているのを見て、どこの家族も同じだなと思う。
「桜餅みたい!」女の子が足元に広がる花びらを目の当たりにして、感嘆する声が耳に入った。その姿が愛おしくて思わずお父さんに声をかける。「せっかくだから3人一緒に撮りましょう」
「ありがとうございます」とお父さんがカメラのフィルムを巻き上げて差し出す。あ、デジカメじゃないんだ、と手に取ると、何これ、こんなカメラ見たことがない。
「ロシアのカメラなんです」と、事もなげにお父さんが言う。見慣れぬカメラにすっかり動転してしまい、ピントも絞りも合わせるのを忘れてしまった。きっと真っ暗なピンぼけ写真だろう。せっかくと言いながら面目ない。
阿仁合駅に戻り、構内で心ばかりの土産を買って、駅を後にする。レンタカーで来てしまい、鉄道会社に一銭もお金を払わないのが、ちょっと後ろめたかったこともある。
そろそろ帰りの飛行機の時間が気になりだしたので、少し大館能代空港に近づき、前日、桜を見かけた阿仁前田〜阿仁南間の小又川橋梁へ。桜と橋梁の位置が微妙で、列車をからめるのに少々苦労する。
ここでもう1本を撮るつもりだったのだが、アングルに窮して、急遽桂瀬〜阿仁前田間の下前田神社付近へ移動。雨で桜が映えないので、バックに杉の木を入れてコントラストをつけたつもり。この場所は、なかなか雰囲気がいいので、もっと違う撮り方もできそうだ。
とはいえ、もう1本撮る時間は残されていない。ここで無理して、また飛行機に乗り遅れようものなら、もはや笑い話にすらならない。
ガソリンスタンドで給油して空港へ走り出すと、さっと雲が切れて夕日が射してきた。いやはや、お約束とはいえ、帰るときになって晴れるとは。
「ちょっと残念なお天気でしたね」出迎えたレンタカーの店員がなぐさめてくれる。
「まあ天候ばかりはどうしようもないしね」と自分に言い聞かせるように答える。
さあて来年、もう1回リベンジ・・・する?
【2014年5月現地、同年8月記】