また40分くらい時間が空くが、陽が昇って暖かくなってきたこともあり、宿には戻らず、散歩がてら歩き回って次の撮影場所を探す。それでもこれといったポイントが見つけられず、元の場所に近い石積みの築堤で撮影することにする。すべて石積みなのか構造はわからないが、立派な築堤である。いつものように無学を露呈して恥ずかしいが、名前のわからないサンゴ草のような赤い草がアクセントになっている。
やってきたのは204D。車両は早朝に撮影した201Dの最後尾に連結されていた36−R3形だ。朝の写真ではシルエットでしかなかったが、こうして見ればレトロ調というのがおわかりだろう。
次の203Dは、204Dと綾里で交換してやってくるので、数分しか余裕はない。
もちろん、それに備えて予め撮影場所は石積み築堤から目と鼻の先の柿の木と決めていた。ただ、この柿の木のすぐ横には無機質な防災無線?のスピーカーがでんと立っているので、何とか避ける。でも、ごまかせないもので、出来上がった写真は構図に無理やり感が出ている。実はピントも甘く、ちょっと情けない。
車両はイオンのラッピング車となった36−100形の105号車。
この日は、もう一度岩手開発鉄道へ行くことにしていたので、ここで再び宿に戻り、朝食をとってチェックアウト。
「どちらへ行かれますか」女将さんが尋ねる。
「盛のほうへ出ます」
「そうされたほうがいいですよ。小石浜への道は大変ですから」
「ですよね、以前釜石から来たときに難儀しました」
「でも、道路工事でお気づきと思いますが、トンネルが抜けることになって」
道路工事には気づいていたが、単なる補修かと思っていたら、そういうことだったのか。聞けば、津波で盛への県道9号線が不通となり、小石浜へ抜けて国道45号線経由で迂回せざるを得ない時期があったそうだ。万一の際の迂回路が険しい山道では問題なのでトンネルができることになったという。7年前に来た時、沿道に「早期トンネル開通」と訴える地元の看板を見かけたものの、難しかろうと思ったことが実現するわけだ。
「だから変な言い方ですけど、震災のおかげなんです」と女将さんが言う。
確かに震災で大きな被害を受けたはずなのに、そのおかげとは微妙な表現で、相槌を打っていいものか迷う。
でも、山道を通らなくてもいいとなれば、早朝出かけるのも楽になる。よし、来年の朝日は小石浜だ・・・って、もうその気になっている。
「それでは、お世話になりました」
「お気をつけて」
こうして「廣洋館」を後にしたのであった。
その後は一日中、岩手開発鉄道を撮影し、夕暮れに盛川の橋梁へ。ここは三陸鉄道の橋梁も100mほどの距離で並行しているので、一石二鳥と言うわけだ。
東北は日が暮れるのが早い。16時50分に盛を発車した213Dを撮影したものの、もうあたりは暗闇に包まれていたのであった。
えっ?三陸鉄道の写真はたったこれだけ?という声が聞こえそうだ。やっぱり来年、撮り直しに行こう!
【2016年11月現地、同年12月記】