樽見鉄道 <その1 初夏編>
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最初の予定では、本巣の車庫を訪問する予定であったが、時刻表を見ると、30分後には樽見行きがある。車庫は後回しにして、先に樽見まで行くことにする。
本巣の次の織部はどうやら新しい駅。駅前に新しい施設があったので、これに合わせて開業したのだろう。その施設はあとで「道の駅」と知り、樽見鉄道の駅よりはるかに立派なことに、少々複雑な思いがよぎる。
織部を過ぎると根尾川沿いを走り、なかなかの景色だ。谷汲口の駅の傍には保存客車の姿が見える。昔の終点である神海を経て高科を出ると、テープで、ここからは根尾川を縫うように走るので、素晴らしい景色をお楽しみください、とのアナウンスが流れる。
その後も、この区間が最も急な勾配などと沿線案内が続く。日頃、テープのアナウンスはうっとおしいと思ってしまうが、こんなアナウンスなら好感が持てる。旅行者の身勝手と言えばそれまでであるが。
それにしても、駅名の案内テープを聞いているだけではそれがどんな漢字なのか、さっぱり見当がつかない。
「こちぼら」「なべら」「ひなた」・・・
順に「木知原」「鍋原」で、「ひなた」は「日向」と思ったら「日当」であった。
その日当が最も山深い感じで、ここから高尾、水鳥と下ってゆく。
「トンネルを抜けると、右手に清流、左手に濃尾地震による断層がのぞめます」とのアナウンスが耳に入り、ドキッとする。
阪神淡路大震災を経験したこともあって、「断層」という言葉に敏感に反応してしまうのだ。慌てて左手の車窓から探してみるが、どこに断層があるのかわからなかった。
水鳥の次はいよいよ終点樽見。駅舎もそれなりに立派で、そこらじゅうに淡墨桜の案内も出ているが、さすがに時期遅れ。それより先ほどの断層が気になるので、同じディーゼルカーで折り返して水鳥で下車し、地震断層観察館に向かう。
築堤のように見えるのが1891(明治24)年の濃尾地震による断層。
総延長80キロ、最大変位量8メートルと、想像を絶する規模である。
どこに断層があるのか観察館で確認したら、まさにこの観察館が断層の上に建っていたのである。館内には地下を掘り下げ、断層を目の当たりにできる展示もあって、地層の大きなずれに思わず息を呑む。
列車の時間を見計らって観察館を出て、駅の近くの水田ですみれを入れて撮る。おりしもそこここの田んぼで田植えを始めていて、のどかな根尾谷の光景が好ましい。
のどかな根尾谷をゆく。
本巣に戻り、昼食後、いよいよ車庫に向かう。
というものの、やはりどうも気後れしてしまう。入りにくいので、入口で誰か出てこないか15分くらい待つが、そういうときに限って誰も姿を見せない。意を決して中の事務所に入り、女性職員に来意を告げると、構外で作業中の年配の職員に取り次いでくれた。
その年配の職員と話し始めてみると、緊張はすぐにほぐれて、車両の整備のことなど、いろいろ質問させてもらう。
全般検査などは、JRに委託しているのかと思ったら、民間業者に頼んでいるという。
「でも、全般検査をできる業者なんて、あまりいないんじゃないですか」と尋ねると、
「同じ型の車両が名鉄でも動いとるで。機関車も台車だけは名鉄に頼んでいる」
なるほど、名鉄三河線でディーゼルカーが走っていたなと納得。
最後は「写真を撮りに来るんだったら、桜の時期に来なきゃ」と冷やかされて車庫を辞し、これでこの日の予定はすべて終了。本巣始発のディーゼルカーで家路についたのであった。
【2003年5月現地、2004年6月記】
手前の洗車機を通った後、手作業でブラッシングされるハイモ230−301。
<挨拶編につづく>