2003年12月中旬の週末、神戸から日帰りの東京出張を終えて、いつもどおり新幹線に乗車。しかし、その新幹線の行き先は、岡山でも広島でも博多でもなく、八戸なのであった。
『ローカル私鉄なるほど雑学』の担当エリアは、東日本が駄菓子さん、西日本が私となっていた。駄菓子さんは東京、私は神戸に住んでいるのだから、必然の分担である。
それなのに、なぜ私が東北へ向かったのか。
その答えは、本の最後の暖房に関する項にあった。行きがかり上?この項は私の担当で、電熱やエンジンの熱を利用した暖房の説明に始まり、ストーブ列車で締めることとした。
もちろん、ストーブ列車と言えば、津軽鉄道のことであるが、原稿の締め切り間近とあって、駄菓子さんも行く暇はないので、昔撮った写真でお茶を濁そう、と打ち合わせていたのである。
しかし、原稿を書いているうち、やっぱり今のストーブ列車をこの目で確かめておきたい、そういう気持ちがふつふつとこみ上げてきた。そうなるともう止まらない、え〜い、完全主義と冷やかされようが構わない、とにかく行ってみよう、ということで『はやて25号』の車中の人となったのであった。
その日は八戸に泊まり、翌朝『つがる43号』で一旦弘前へ出て、五能線に乗り換え五所川原へ。
跨線橋を渡れば20数年ぶりの津軽鉄道である。ということは、もし来られなかったら、本には20数年前の写真を載せて、ストーブ列車は昔も今も変わらない、なんてキャプションでごまかすつもりだったわけだ。
ストーブ列車の発車までまだ時間があるし、おそらく五所川原〜金木は混むだろうから、途中の金木から乗ろうと、先に津軽21形ディーゼルカーに乗車。
せっかくだから、嘉瀬で途中下車して、列車撮影をしながら金木まで歩くことにする。
嘉瀬駅の改札口では、委託を受けた女性駅員がお客を迎え入れていた。(注)
その光景は20数年前とまったく変わっていないようで、なんともなつかしい。
女性駅員に切符を渡して、金木寄りの踏切に急ぐ。次の金木で交換した五所川原行きがすぐにやってくるからだ。
この日は12月半ばの津軽にしては暖かいのだろう、集落の中を歩くと、突然、ザザザザザーッと屋根の雪が落ちてきて肝をつぶす。
(注)2004(平成16)年10月から、嘉瀬駅は無人化されたという。残念。