いよいよ伊予鉄道。
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しょっぱなからくだらん駄洒落で読む気も失せたって?
いーよ、いーよとは言わないよってか・・・・失礼。
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西堀端から大手町方をのぞむ。
後ろにはJR松山駅も見える。
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2000年4月30日の松山の天気予報は昼から雨。
そんな予報どおり、その日の松山は早朝からどんよりとした曇り空が広がっていた。
雨が降り出す前に、大手町の有名な路面電車と鉄道線(高浜線)の平面交差を見ておこうと、松山駅前のホテルから一番に出かける。同じ伊予鉄道同士とはいえ、路面電車と一般の鉄道との平面交差は今や日本ではここだけで見られる珍しいものだ。おまけに、踏切で待つ路面電車の前を、東京で見慣れた元京王帝都電鉄の2000系や5000系が走り抜けていくのも、さらに不思議な気分にさせる。
大手町からは時計回りに、つまり松山城に向かって歩いてみる。空の雲が切れ、薄日が射してきた。このまま天気になればいいのだが。
県庁前まで歩いて、散策ついでに東堀から松山城内に入る。すると、いきなり競輪場の看板が目に入ってびっくり。松山城を築城した、え〜と誰だったっけ?どうも歴史は苦手だ、まあそのお殿様もきっと驚いていることだろう。(後で調べてみたら、加藤嘉明が1602年、築城したそうである)
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南堀端付近にて。
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公園として整備された城山を上ると、早朝にもかかわらず、ベンチで本や新聞を読む人の姿があった。木漏れ日を浴びてのんびりくつろぐ姿は、なんとも優雅な光景だ。神戸に住む人間にとって、お城やお堀には無縁なので、うらやましくも思える。
公園を横断して南堀端に下りてみると、伊予鉄道の保線係の人がポイントにつまったゴミを小さなスコップですくって掃除をしていた。声をかけてみると、
「ええ、毎日掃除してますよ。今時分はましですが、秋の落ち葉の季節が大変です」
とのことだった。落ち葉が大敵という話は他でも何度か聞いたことがある。南堀端から松山市駅までの道路にも側道との間に街路樹が植えてあって、その下を歩くのはなかなか気持ちがいい。でも、せっかくの街路樹が、路面電車にとっては苦手というのも皮肉なものだ。
ホテルに一旦戻り、チェックアウトして荷物を松山駅のコインロッカーに預け、道後温泉に行くか、古町の車庫に行くか少々思案。晴れ間がのぞいているとはいえ、天気予報どおりだとすると、車庫で雨にあうのは避けたいので、先に古町へ向かうことにする。