岡山電気軌道 後編
ブーッ・・・
午前5時45分、ホテルの目覚ましの音が鳴った。外を見ると、曇り勝ちでまだ暗い。「う〜ん、あと30分寝よっ」と目覚ましを6時15分にセットしなおし、ふとんにもぐるとすぐに、
ブーッ・・・
うう、切れてないのか。くそっ目も覚めちまった、ええい、もう起きよう。
ということで早起きして岡山の街に出たものの、身体は眠いし、街もまだ眠い。ホテルからぼつぼつと駅まで歩いているうち、身体も起きてきて、7時半を過ぎると俄然街も活気づいてきた。
そろそろ遅刻?(東山にて)
わざわざ休暇を取ったのも、せっかくなら平日の、普段着の姿を見たかったからで、さあ、いよいよ通勤ラッシュだと駅前の電停に陣取る。しかし、やってくるのは女子高生ばかり、というのは『続いて趣味の話』に書いたとおり。
元東武日光線の3000形で女子高生たちとすし詰めになって東山に着いたのが8時半ごろ。資料室は9時からと言われていたので、しばらく時間をつぶす。女子高生ラッシュのピークは過ぎたようで、その後到着する電車はぐんと空いてきて、始業時間も近いのだろう、パラパラと降り立つ女子高生が小走りに学校へ向かっている。
9時をまわった。週明けの朝一番に申し訳ないと思いながらも、本社を訪ねると、資料室は道路を挟んだ工場の2階と教えられ、早速工場へまわってみる。
石津式パンタフラフ。
バネを使わず、おもりでパンタを押し上げる。
架台の中央に見えるパイプのようなものがおもり。
「片付けていないもので・・・」階段を上りながら、職員の方が申し訳なさそうに言う。資料室に案内されると、まっさきに石津式のパンタグラフが目に入った。「ではごゆっくり」と職員の方は部屋を出て、ひとりじっくり見学させてもらう。失礼ながら、片付いていないと言われたとおり、様々な部品が無造作に並べられている。資料室といっても倉庫に近い使い方なのだろう。でも私はこういう雰囲気が大好きで、「おお、こんなものもある」と、宝さがしのような乗りで昔の行先表示板や通票、溝型レールなどを見てまわった。
資料室見学の後、階下の工場事務室で先ほどの職員の方にお話しを伺う。
共著の駄菓子さんからも機会があったら調べて欲しいと言われていた、レールを溶接してつなげることも尋ねてみた。レールを全部溶接してしまったら、真夏には伸びきってしまうだろうから、適当なピッチで切っているはずと思ったのだ。
「いろいろ試行錯誤して、今は200mくらいで切っています」とのこと。
普通の線路と違って車が上を走るので、あまり短くするとゆがんでメンテナンスが大変だし、長くすれば、やはり伸び縮みの問題が生じる。その兼ね合いが難しいとのことだった。
車両数が21両で間違いないことを確認して、うち4両が古い東武日光線の車両だという話になり、
「今日はその東武日光線の電車に乗って来たんですが、女子高生ばかりで焦りました」と言うと、
「たまにはそういう電車に乗って、若返るのもいいもんでしょう」なんて冷やかされてしまった。
最後に「いよいよ延伸が決まりそうですね」と水を向けると、
「いやいや、まだまだ。ここでつぶれたら二度と延伸の話はできなくなる」
と予想外に慎重な答えが返ってきた。冒頭の記事をみてもわかるように、延伸を疑問視する声も強いようで、それを肌で感じているのだろう。
「ですから、やっぱり路面電車は邪魔だ、と言われないように、安全で快適に乗ってもらえるよう細心の注意を払っています」
とのコメントをいただき、取材を締めくくったのであった。
【2000年5月現地、2001年3月記】