1976年4月、高校鉄研の春合宿(
下津井電鉄)での自由行動時間に一人水島臨海鉄道へ向かった。
ここでは最初に、隣の国鉄倉敷駅で停車中のEF58を横目に発車するDD51牽引の伯備線貨物列車を撮影している。その写真はさすがに水島臨海鉄道とは関係ないので割愛して、倉敷市駅を遠望する写真から始めよう。
なんとも散漫な構図であるが、開き直れば、そのおかげで当時の周囲の状況がわかるとも言える。左手の貨物上屋のような建物が倉敷市駅で、右側に見える跨線橋が今あるものと同じとすれば、国鉄倉敷駅からは200mほど離れていて、現在とは違う場所にあった。
倉敷市駅のホームから、側線に留置されていた元国鉄キハ04形のキハ311を撮影。このときは既に廃車となり、留置されていたようだ。
後ろにはこれも元国鉄のクハ16形の姿も見えるが、このときは気動車にしか興味がなかったのか、電車なので水島臨海鉄道とは関係ないと思ったのか、これ以外に撮影はしていない。実際は、クハ16も水島臨海鉄道が購入したそうだが、一度も運用されることなく解体されてしまったとのこと。
倉敷市駅から少し球場前側へ歩き、列車がやってくるのを待ち構える。水島臨海鉄道は、並走する国鉄線の最も東寄りを走るので、撮影はさらにその東側の道路からとなる。ただ、この日は既に昼を回り、東側からでは完全な逆光となってしまう。それを逆手に取り、得意の?陽を入れる構図で、かつカラーで撮ろうとポジフィルムを入れていた二眼レフで臨む。
結果はご覧のとおり、最も速いシャッタースピードでも1/100しか切れない安物二眼レフでは案の定列車はぶれて、冴えないゴーストも出てしまったのである。おまけに3両編成の後ろが切れてしまっているが、これは自分の腕の問題で、カメラのせいにはできない。
到着した3両は元夕張鉄道のキハ301+ナハニフ153+キハ304のいわゆるDTD(ディーゼルカー+トレーラー/付随車+ディーゼルカー)編成であった。下の写真はちょうど最初の写真とは真反対の位置からの撮影であるが、なぜまたこんなに離れて撮ったのか自分でも不思議なくらい遠い。
DTD編成は夕張鉄道時代からで、同鉄道の旅客輸送が客車から気動車に切り替わった際、ナハニフ153を組み込んだそうだ。
そのナハニフ153をホームから撮影するも、今度は近寄りすぎて車両全体が入りきっていない。
ナハニフ153の車内の写真は、荷物室側から撮影した1枚だけ。奥に見える客席は転換クロスシートであるが、当時から気づいていたのか記憶は曖昧だ。
ところで、荷物室の床に斜めの白い線が走り、あららネガにひどい傷があると思ったのだが、どうやら違う。もしかしたら、ナハニフ153のどこかに細い隙間があって、そこから陽が射しこんでいたのかも知れない。
この列車に乗って終点の三菱自工前まで行き、少し戻った場所で折り返しの倉敷市行きの列車を狙う。
今度は一眼レフで、十分シャッタースピードを上げられたはずなのに、一体どういう設定にしたのか、また列車がぶれてしまっている。