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水島臨海鉄道
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 倉敷市行きの列車を撮影した足で車庫を訪問し、庫内での撮影をお願いする。今から思えば、アポなしで午後遅めの訪問など非常識なのだが、とても物腰の柔らかい職員の方に快諾していただいた。
 その職員の方から、「今からちょうど6年前の今日、倉敷市営鉄道から水島臨海鉄道になったんだよ」と教えてもらう。そう、その日は1970年4月1日に水島臨海鉄道としてスタートしてちょうど6年となる日なのであった。ほかにも色々と説明を受けたはずなのだが、残念ながらほとんど覚えてない。でも、その職員の方のおかげで、車庫での滞在が穏やかで居心地のいい時間であったことは心に残っている。
 さて、下の写真はスクエアなことからお分かりのように、二眼レフで撮った大好きな元国鉄キハ07形のキハ320と、これも国鉄から譲り受けたばかりのキハ10だ。後にキハ10は水島臨海鉄道でキハ35形と名乗ることになるが、このときはまだ国鉄時代のままの状態であった。


キハ320と国鉄キハ10


 キハ10には、甲種回送時の札も付けられたままであった。木製ですべて手書きされた味のある札だ。発駅が成田となっているので、成田線電化により余剰となったのであろうか。


甲種回送の札


 こちらも同じキハ07形のキハ321であるが、一目で片上鉄道から来た車両だとわかる。片上鉄道時代に前面窓などが改造されてキハ701と称していた。
 二眼レフで撮った写真は、いずれも周辺光量落ちが激しい。まあそれもレトロな感じとも言えるので、よしとしよう。


元片上鉄道のキハ321


 なんとなく古めかしさを感じて撮った緩急車のワフ16。改めて写真を見ると、台枠がむき出しなのが古めかしさの大きな要因だ。元の木造車体を鋼体化したのは明らかだが、どんな由縁なのかネットで検索すると、なぜか真岡鐵道ばかりヒットする。不思議に思ったら、今は真岡駅にある「SLキューロク館」で保存されているそうだ。てっきり解体されたとばかり思っていたが、水島からはるばる真岡に居を変えて、現存しているとは嬉しい限り。


緩急車ワフ16


 給油中のDD505。1962年の川崎車両製で、寄り目のヘッドライトがドラえもんやセサミストリートのクッキーモンスターのように見えて愛らしい。


給油中のDD501


 こちらは1966年、日立製作所製のDD506で、DD505に対抗するかのようにヘッドライトは一転して両端に寄って、これはこれでなんとなくファニーな顔立ちだ。
 この写真は、ひどく傾いていたのを修正したため、DD506の下端や左のキハ303が切れてしまったうえに、画面右側がかすれている。実は初めての片上鉄道でフィルムを巻き切ってしまったと書いたが、まさにそれに写っていたものなのだ。片上鉄道の美作飯岡駅近くの暗い納屋でフィルムを付け直したものの、感光は避けられなかったのである。現像テクニックとして、わざと感光させて仕上げることもあるそうだが、この写真は単に失敗例として敢えて掲載したもの。


ナハニフ153外観


 締めくくりの写真は、二眼レフで撮った夕陽を背にしたDD505だ。
 こうして日没までお付き合いいただいた職員の方は、おそらく今は引退されたこととは思うが、この場を借りて改めてお礼申し上げたい。


夕陽とDD501


【1976年4月現地、2023年2月記】

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