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総武流山電鉄
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 初めて総武流山電鉄を訪ねたのは1975年2月、ちょうどキヤノンの一眼レフFT−bを買ったばかりで、試し撮りというか練習のため、出かけたように記憶している。
 ただ、肝心の現地の様子などは何も思い出せない。唯一覚えているのは、この日はとても寒く、一緒に出かけた弟と昼食のラーメンを食べた際、「寒い日にラーメンとか食べるとなんで鼻水が出るんだろうね」と洟をすすりながらラーメンをすすっていた、というどうでもいいことだけ。
 さらに撮影したモノクロフィルムを自分で初めて現像したのだが、フィルムが現像タンクのリールから外れて癒着してしまい、現像ムラとなって失敗という落ちまでついていた。
 ということで、この日のまともな写真は、もう1台持参していたハーフサイズのオリンパスペンで撮ったものくらい。でも、一眼レフは私、オリンパスペンは弟という分担だったとすれば、この写真は弟が撮ったものかも知れない。


流山駅にて


 初訪問時の失敗はさておき、総武流山電鉄のオレンジ色の小さな電車たちはとても愛らしく、東京近郊ながら、ここだけすっぽり時計の針が止まっているような趣であった。
 でも、いつでも行けると思っているうちに月日は流れ、次に訪れたのは3年余りあとの1978年10月、所用で柏へ出かけた際に立ち寄ったときのこと。西国分寺から武蔵野線で新松戸へ向かい、総武流山電鉄の(旧)幸谷駅へ。先にやってきた馬橋行きをホームから後追いする形で、たまたま下車した女性客とともに撮影。


幸谷駅にて


 幸谷駅で見送った馬橋行きの折り返しに乗って流山へ。このときは、時間が限られていたこともあって沿線での撮り鉄はせず、主に流山駅での撮影となった。
 その流山駅の駅舎。ストリートビューで確認すると、今もほとんど雰囲気は変わっていないように見受けられる。


流山駅

 
 流山駅の改札。今は改札が広げられて、明るい感じになっているようだ。


流山駅の改札


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