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総武流山電鉄
流山駅の車庫にお邪魔して、庫内を撮影させてもらう。
下の写真は、木造の車庫越しに元西武鉄道のクハ52を撮ったもの。こういう構図は大好きで、他でも数多く撮っている。
並んで休む元南武鉄道のモハ105と元西武鉄道のモハ1001。
モハ105の傍らに敢えて清掃係?のおばちゃんを入れたが、もうちょっと早いタイミングで撮ればよかったと思った記憶が微かに残る。
そのおばちゃんが担当していたのだろうか、清掃中のクハ55。かなり改造されているが、深い屋根に円弧状の水切りで、川崎造船所製のいわゆる川造型とわかる。後ろの車両はナンバーを読み取れないが、同じ川造型なのでモハ1002であろうか。
訪れた1978年10月は、総武流山電鉄では初めての全長20mの大型車、これも元西武鉄道501系の1200形が譲渡され、走り始めたところであった。
この日も運用に就いていて、これに乗って馬橋へ引き上げ、常磐線に乗り換えて柏へと向かったのである。
現在では、編成ごとに「流馬」「若葉」などの愛称が付けられ、ヘッドマークを掲げているが、その走りとなったのが、この1200形だ。
でも、写真の1200形はヘッドマークが付いていない。それもそのはず、本当に入線したてで、まだ愛称は決まっていなかったのだ。愛称は公募され、流山駅の出札口には、愛称募集の告知と投票箱が設けられていた。その結果「流星」と名付けられたのである。
余談ながら、1200形の導入時期について、1979年とする資料が散見されるが、上記のとおり1978年に間違いない。もしかしたら、「流星」として走り出したのが翌年で、それと混同しているのかも知れない。
それから20数年後の2002年の訪問記は、別コーナーのローカル私鉄紀行の総武流山電鉄に書いたとおりだが、最新レポートのつもりが、それからでも20年以上経ってしまった。2002年当時の車両はすべて姿を消し、もちろん1200形「流星」はそれより先に廃車となって、今は元西武鉄道新101形の5000形が三代目「流星」を名乗っている。社名だって総武流山電鉄から「流鉄」に変わってしまった。
まさに光陰矢の如しで眩暈すら覚える。いやいやそんなことを言っている間にも時は流れていく。つべこべ言わず、再訪の行動を起こすのは、「今でしょ」(古)
【1975年2月、1978年10月現地、2024年1月記】