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新潟交通
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 このクハ37も前面2枚窓だが、他の車体更新による2枚窓のスタイルとは明らかに異なる。それもそのはずで、元国鉄の気動車キハ41000形(のちのキハ04形)を改造した車両なのだ。キハ04形は大好きでな車両で、かつ新潟交通では1両だけという希少性に惹かれて、何枚か写真を撮る。
 1両だけと言えば、電動貨車のモワ51が有名だが、仕業についていたのか車庫にはおらず、見ることができなかったのは残念。


元キハ41000形のクハ37


 こうして連結面側から見れば、キハ41000形であったことは明白だ。


クハ37の連結面


 ラッセル車キ116と木造貨車のワ115。


キ116とワ115


 保線区と電務区の建屋。ありふれた羽目板の建屋で、かつてはどこでも見られたものだが、今となってはなつかしい。


保線区と電務区建屋


 やはり羽目板の外壁で、比較的大きな東関屋の駅本屋。
 

東関屋駅本屋


 東関屋駅の訪問を終えて、燕へ向かう列車を待ち受ける。やってきたのは元西武鉄道のクハ39だ。元西武の車両は他のローカル私鉄に多数譲渡されたが、新潟交通ではこのクハ39のみで、これもまた希少と言えるだろう。車体更新された電動車のモハに比べると、制御車のクハはバラエティーに富んでいる。


元西武鉄道のクハ39


 で、まことに唐突ながら、新潟交通の訪問記はこれにていったん終了。県庁前〜東関屋のたった一駅で終えるのは忍びないが、東関屋以降に撮影したネガが行方不明で、同時に記憶も行方不明なのだ。燕までのことや東京へどう帰ったのか、全く思い出せないのである。記憶を残すには、画像が欠かせないことを痛感する。
 ということで、もしネガが見つかれば記憶も少しは呼び戻せるだろうから、続きはそのときに。

【1978年9月現地、2024年3月記】

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