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タイトル
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尾小屋鉄道 路線図
地図

 うーむ、こうやって、風景のことを並べただけでは、今ひとつおもしろくない。
 何かなかったかな、と記憶をたどってみたら、ひとつ思い出したことがある。つまらないことだが、最後にそのことを書いて終わりにしよう。

 あれは観音下〜倉谷口間の郷谷川沿いで撮影しようとしていたときだ。郷谷川は、せせらぎというくらいの水量だったので、いっそのこと川の中から写真を撮ろうと、一旦カメラを岸辺において、様子を見に川に入っていた。
 すると、タタンタタンと列車の近づく音が聞こえてくるではないか。バシャバシャと慌てて岸に戻るが、結局撮り逃してしまった。1日8往復しかないのに・・・とがっくりして改めて時計を確認すると、まだ列車が来るには15分くらい早い。
 実は、尾小屋鉄道は、乗降客のいない駅をどんどん飛ばすので、早発気味であった。それはある程度は予想していたものの、こんなに早く来るとは思ってもみなかったのである。
観音下〜倉谷口間にて
観音下〜倉谷口間にて(キハ1)
(数時間待って撮りなおしたもの)

 後に、新聞か何かで尾小屋鉄道が紹介され、ある運転士が「こいつはいつも早く着くんですよ」と言われて、いたずらっ子のように笑った、というような記事があった。幸い、その記事では好意的にとらえてくれていたが、恒常的に早発だったことがわかって、少々残念な気持ちになった。
 鉄道にしろ、バスにしろ、公共輸送では、早発してしまうと、時刻どおりに来た乗客が乗れなくなるのだから、決して許さることではない。
 軽便なんだから、施設が簡便なのはいいが、『簡便』と『いい加減』を取り違えているように思えたのだ。末期の尾小屋鉄道には、「どうせ乗客なんかいやしない」という投げやりなものが感じられた。そんなムードをけしからん、と言うつもりはない。それより、廃線が確実に近づいていることを見せつけられるようで、痛々しさを強く感じたのである。
尾小屋駅
赤いポストに黄色い公衆電話。
軽便鉄道らしい終着駅、尾小屋。

 そんなこともあって、尾小屋鉄道は、このときが最初で最後の訪問となってしまった。
 その年の冬は、例年にない豪雪で、倉谷口〜尾小屋間は雪に埋もれて、不通のまま廃線となり、幕切れもまた、痛々しいものになってしまった。

 ただ、非電化軽便鉄道として、最後までがんばった甲斐があって、他の軽便鉄道に比べると、数多くの車両が残されている。例えば、終点尾小屋では、赤門軽便鉄道保存会や小松市が、キハ2、キハ3などを動態保存している。また、石川県立小松児童館に至っては、『なかよし鉄道』として、キハ1、DC121などを定期的に運転しているのである。廃線は淋しいことだが、その後、これだけ車両を大切に残してもらっているのは、幸せなことなのだろう。

 【2000年7月記】


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