訪れた1976年当時、岡山臨港鉄道の旅客営業区間は大元から岡南元町までで、そこから少し先の貨物駅の南岡山に車庫があった。ここでやはり車庫を見学させてもらっている。水島臨海鉄道の職員のことは覚えているのに、岡山臨港鉄道は申し訳ないことに何も思い出せない。もちろん冷遇されたわけではなく、ご自由にどうぞと言われて勝手に見て回ったはずで、あまり言葉を交わすことがなかったせいで記憶に残っていないのだと思う。
ここで撮りたかった車両のひとつは、キハ5001の同僚ながら、車体更新されずに原型を保っていたキハ5002なのだが、車庫の奥に押し込められて窮屈な写真しか撮れず。
さらにキハ04形タイプのキハ3001もお目当てだったのに、やはり車庫の奥で、広角レンズを持っていなかった当時は、この画角が精一杯なのであった。
同じく車庫の奥で暗いものの、キハ1003は少し引いて撮ることができた。
車庫の柱には、車両留置のレイアウトが掲げられていた。夏季と冬季で変えるのは、今の感覚では夏場は冷房能力の低い車両を運用から外し、車庫の奥に留置すると考えてしまうが、当時の車両にはすべてクーラーはない。ということは、冬場の暖房が関係していたのであろうか。さすがにこの点は現場で尋ねたような気もするのだが、例によって何も覚えていないのである。
その後、岡山臨港鉄道へは、1984年1月にも訪ねている。そのときもキハ5001は健在で、さらに下の写真のとおり、水島臨海鉄道からキハ300形が譲渡されてきていたが、DTD編成は解かれ、形式名をキハ7000形と変えた気動車が単行で運用に就いていた。
それから間もない同年の年末、岡山臨港鉄道は幕をおろしてしまったのであった。
【1976年4月・1984年1月現地、2023年5月記】