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津軽鉄道
それからあまり間を置かず、1977年3月に高校鉄研の春合宿で津軽を再訪したことも、軌道めぐりに書いたとおり。これもどこかに書いたが後輩たちはみなバリバリの撮り鉄で、撮り鉄合宿というのが実態であった。
さらにまた言い訳だが、合宿だと晩に日記を付ける時間もないので、ほとんど記録が残っていない。写真を見ると、あちこち行き来しているが、なぜそういう行程をとったのか、全く思い出せないのである。
その春合宿の写真は、いきなり深郷田駅付近から始まっている。おそらく周囲に人家が少ないので撮影適地と考えたのだろう。少々荒涼とした雰囲気の中、貨車を牽いたキハ24021が行く。
深郷田駅の駅名票。
少し前のことになるが、鳥取県にある「不香田」と書いて「ふこうだ」と読む地名が、「不幸だ」に聞こえるとして、地名を変更したという報道があった。
「深郷田」にそういう声があるのかわからないが、私自身、わざわざ駅名標を撮っていることから、当時は「不幸だ」と読んだのであろう。でも、「深郷田」と漢字で表すと、深い郷の田んぼとは情緒のある地名だと気づかされる。
でんと真ん中にキハ24022を配置する典型的な日の丸構図であるが、自分では何となく気に入っている写真だ。
おそらく深郷田の隣、大沢内駅だと思うのだが、その改札の様子。
中途半端なアングルなのは、女子高生が出てきたのを見てあわててカメラを構えたからだったかも。露出を合わせる間もなかったのか、超アンダーとなってしまった画像を無理矢理明るく加工したため、粒子が荒れ荒れだ。
こちらは芦野公園駅付近で、たまたま通りがかった馬そりにカメラを向ける。さすがに当時でも馬そりは当たり前の光景ではなく、現に道ばたのおばあちゃんが「ほお」という感じで見送っている。何か馬そりの競技会に備えた練習であろうか。
カーブの築堤を行く列車が夕陽を受けて輝いた瞬間。
地図で確認すると、カーブした築堤は芦野公園〜川倉間にあり、芦野公園駅から歩いて行ったとすれば辻褄は合う。自分のことなのに推測するしかないのが情けない。
同じカーブの内側で、今度は夕陽を入れて。
こうしてみると、40年以上経った今も、同じような写真を好んで撮っている。こだわりと言うより、進歩がないと言うべきか。