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津軽鉄道
3年ほど前(2020年3月)にアップした「津軽の森林鉄道跡」に書いたとおり、1976年7月、津軽鉄道で津軽中里へ行き、バスに乗り換えて十三湖へ向かった。
それであれば、次は思い出話に津軽鉄道を取り上げるしかない。そう決めて写真を並べてみても、思い出せることが断片的、散発的で、話がつながらない。そのせいで原稿を書く気も失せて、またいたずらに時間ばかり流れてしまった。
でも、時間が経てば記憶が蘇るどころか、夜明けの星空のように次々消えていってしまうのは明らかだ。やはりそうなる前に、かろうじて思い出せることを脈略なく記していくことにした。せめて写真は撮影順に並べたので、時系列にはなっている。
まずは、その1976年7月の初訪問のことから。
五所川原駅で国鉄五能線から乗り換えるため跨線橋を渡ると、眼下のホームで2両編成の気動車が貨車を従えて待機している。そのころは旅客列車と貨車の混成編成、いわゆる混合列車は他の鉄道でも見かける光景であったが、今から見ると、とてもなつかしく感じる。いや、歴史は繰り返すと言うとおり、最近は貨客混載がトレンドとも言える。そのうち混合列車の写真を見た人から、「こんな頃から貨客混載をやっていたの?」と驚かれるようになるかも。
五所川原のホームから、仲良く並んだ2両のDD350形を撮る。
お恥ずかしいことに、今までこの2両は全く同じ形と思い込んでいたが、改めて写真を見ると運転台まわりがずいぶん異なっている。ウィキペディアによれば、メーカーこそ同じ新潟鐵工所であるが、製造年は左側のDD351が1957年、右側のDD352が1959年だそうだ。ちなみに私はちょうどその合間の1958年製である。それはいいとして、今まで2両の違いに気づいていなかったことは棚に上げて、製造年が2年違うだけで垢抜けた感じにモデルチェンジされているのがおもしろい。
五所川原駅ホームの待合室。
待合室の手前に2つ並ぶ自動販売機を拡大してみると、右側のコーラなどは80円、左側のコーヒーは100円と表示されている。今でも缶コーヒーは一般的に130円で、100円で安売りしている自販機もある。物価の優等生は玉子と言われるが、缶コーヒーはそれ以上だ。
ちなみに運賃のほうは、五所川原〜津軽中里が当時確か280円であったが、今は870円となっている。
途中の嘉瀬駅で途中下車する。
早速、貨車から荷物を下ろす作業が始められた。それを撮る私を、車内の男の子がじっと見ている。隣に座るお姉ちゃん?は、窓枠にお尻を載せて、ちょっとお行儀が悪い。
ところで、荷下ろし作業の傍には家族連れの姿が見える。荷物を受け取りに来たのか、たまたま居合わせただけなのだろうか。
作業を終えて、嘉瀬駅を出発する混合列車を後追いで。
嘉瀬駅。
グーグルストリートビューで確認すると、駅前の商店はさみしくなってしまったが、駅舎は当時のままだ。
そのあとは、たぶん駅名に惹かれてだと思うが、毘沙門でも途中下車して、終点の津軽中里へ。一見すると嘉瀬駅と似た雰囲気で、ネガを確認したとき、あれ、また嘉瀬に戻ったんだっけ、なんて勘違いをしてしまった。
左手に弘南バスの待合所が写っているが、このバスに乗り換えて、十三湖へ向かったのである。
ここまでの写真でおわかりのように、このときはいわゆる「撮り鉄」よりも、沿線や駅の様子を見て回るのが主目的であった。今であれば、次の列車が何時何分で、それまでに撮影ポイントを探さなくちゃと血眼になって走り回ることだろう。なんだか当時のほうが余裕のある旅をしていたような気がする。