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卒業
今年2月某日の会社の帰り、いつものタリーズに寄り道。
レジには、「寄り道のつづき」で触れた、神戸店時代からの顔なじみのSさんが入っている。当時は名前も知らなかったが、その後、いろいろ話をする中で、聞き出したのである。もう無駄話はしないという禁を破って、彼女とは、何かと言葉を交わしたのであった。
いつもどおりコーヒーを注文して会計を済ませると、Sさんがしんみり言う。
「実は明日で終わりなんです」
Sさんはもう4回生で就職も決まっている。その日が近いことはわかっていた。
「そうなんだ、それなら最後に明日、もう一度寄るわ」と言うと、気のせいか、少し表情が晴れたように見える。
そして最終日。
店に出向くと、折りよくSさんがまたレジに入っていた。
「4年間、お世話になりました」
「4年間、成長を見させてもらったよ」
「えっ恥ずかしい・・・」
そして、用意していた餞別を渡す。言い訳がましいが、Sさんだからというのではなく、あのYさんや、昨年卒業したイケメン店員にも餞別は渡している。
ただ、その中で、Sさんが、もっとも気になっていたのは確かだ。気になると言うと、誤解を招きそうなので、気がかりというべきか。
華奢で奥手な感じのSさんは、失礼ながら、大勢の就活仲間の中で、埋もれてしまいそうに見えたのだ。
案の定、昨年の冬、就活が始まったころ、「心が折れそう」と弱音を吐くSさんは、見るからにげっそりしていた。
そんな彼女には、「絶対、Sさんのよさに気づいてくれる会社があるさ」と励ますのが精一杯であった。
しばらく店も休んで就活に専念していたSさんから、ようやく内定をもらったと聞けたのは数ヶ月後。季節はもう夏になっていた。
ところが、ほっとしたのもつかの間、Sさんは、自分に納得がいかないので、就活をやり直すと言い出したのである。
これには驚いた。いつのまにか強くなっている。
そして、さらに一月以上の就活を経て、改めて内定を受け、「満足しています」という言葉を聞き、感服したのであった。
どうやら、いらぬ心配だったようだ。だから、成長を見てきた、という言葉はお世辞ではなく、本音なのである。
新しいコーヒーをたてると言われ、席で待っていると、Sさん本人が運んできた。そして、すぐ隣の席のチェックを念入りにしている。こんなシチュエーションは、どこかでもあった・・・。
何か話をしなくちゃと焦って、なぜか卒業旅行の話を切り出してしまう。いや、最後にそんな話じゃない、はなむけの言葉と思いながら、うまく言えずもどかしい。結局、会話は途切れ、彼女はカウンターに引き上げてしまった。
コーヒーカップはとっくに空っぽ。閉店時間も近い。いよいよお別れだ。とはいえ、本来は淋しい別れではなく、めでたい門出だ。笑顔で一言だけ声をかけよう。
「それじゃ、お元気で」とカウンターの中のSさんに言い残して店を出かけると、Sさんが慌ててカウンターを飛び出してくる。なんだかその目が潤んでいるようで、思わず「大丈夫?」なんて尋ねてしまう。
彼女は何?という顔だ。それはそうだ、Sさんに涙を流す理由などない。淋しく思っているのは自分で、それをSさんに投影してしまったのだ。まさに自意識過剰、最後の最後に恥をさらして、なんとも格好が悪い。
気を取り直して別れの挨拶を交わし、もう一度「お元気で」と付け加えて、店を後にしたのであった。
実は、Sさんには言いそびれたが、私自身の転勤が決まった。今度の勤務先は、一転して神戸の東になるので、自ずと会社帰りにこの店へは立ち寄れない。いずれにしても、別れは必然なのであった。
さらに言うと、転勤とは子会社への出向である。年齢的にも戻ることはないので、言ってみれば私も今の会社を卒業である。
3年前、神戸からの転勤がきっかけで立ち寄るようになったこの店で、同じ神戸から転属してきたSさんと再会し、今度はお互いの卒業で、それぞれ店を離れる。
おセンチな自分にふさわしい幕切れだと、これまた感傷的な思いに耽っている。