翌朝、ヴュルツブルグから特急列車で約3時間半、一気にケルンへ。
新妻が「コンパートメントじゃない客車はないの?」と言うので、せっかくヨーロッパに来たんだから、日本にないコンパートメントに乗らなきゃ、と鉄ちゃん根性で言いかけて、新妻もコンパートメントで見ず知らずの外人と一緒になるのに疲れたのだろうと考え直し、オープン座席の客車を選ぶ。(実はオープン座席を体験するのも悪くないと思ったのもあるが)
新幹線のグリーン車でも2×2シートなのに、2×1のゆったりとした配置で、シートが大きすぎて、身体が落ち着かないくらいだった。
ケルンでは、ミュンヘンから送ったスーツケースが届いているか心配だったので、何はさておき窓口へ荷物を受け取りに行く。それをまたコインロッカーに預けて、ケルンを散策。
いよいよ旅行も大詰め。始めの予定ではドイツから日本へ帰るつもりであったが、オランダのアムステルダム駐在の会社の同僚がどうしても寄れ、というので無理やりアムステルダムを付け加えた。
しかし、ただでは起きない鉄ちゃん。アムステルダムに行くならTEEの『ラインゴルト』(ラインの黄金)しかない。
ということで、17時49分ケルン発の『ラインゴルト』に乗車。TEE用の専用客車であるが、少し前まではドームカーと呼ばれる展望車もつないでいたはずで、できればそれに乗りたかったと思う。
オランダへの入国審査は、エメリッヒ停車中にある。オーストリアからドイツに入るときは何のチェックもなかったので、たかをくくっていると、隣のコンパートメントから厳しい口調の会話とかばんを開け閉めする音が聞こえる。オーストリア〜ドイツ間は、同じドイツ圏で甘かっただけなのだろうか、と一気に緊張感が高まる。
|
|
|
この年、ドイツは鉄道150年で、機関車には記念のステンシルが貼られていた。
|
「えーと、入国審査官は申告するものはないか、Anything to declare?と尋ねてくるはずだから、Noと答える」と頭の中で何度も復唱する。
いよいよ入国審査官がコンパートメントの扉を開いた。
「Anything to declare?」
「Yes?」
ああ、Noと言えない日本人・・・・・
思わず日本語のあいまい表現、「何ですか?」的に使う「はい?」を直訳して答えてしまった。
横から何を言っているの、という新妻の厳しい視線を感じる。
「No、No、No、No、NoったらNo」慌てて訂正。
「日本人か?」
「イエース、イエース」と日本人ならではの笑みを含ませ答える。しょうがねえなという感じで審査官は何も見ずに出て行った。いやあ、よかったと、ホッとしてゆるんだ顔のまま振り向くと、新妻の白けた顔。ハッと我に返る。日本男児の威厳よいずこ・・・・・
アムステルダムで落ち合った同僚と夕食をとり、翌朝、アムステルダムの市内観光をする間もなく日本へ発ち、慌しく新婚旅行のヨーロッパ鉄道の旅も完結。
このまま本文を終えるのも愛想がないので、最後に一言。
こうして当時の旅行を思い起こしてみると、新妻には私の趣味を無理やり押しつけていたことに改めて気がつく。そんな私に文句も言わず、丸14年も連れ合いでいてくれることに、心から感謝したい。
(これでうまくまとまった?)
<完>【1999年11月〜2000年1月記】