2001年10月某日、東京出張明けの日、生まれ故郷の和泉多摩川に行くため、小田急の新宿駅に向かう。
急ぐこともないので、ゆっくり各駅停車で行こうと地下ホームに下りると、やってきたのは9000系。1972年の登場時は、その斬新なデザインが話題を集めたものだが、車内に入ってみると、やや疲れが見えて、時の流れを思う。
ゆっくりでいいからと選んだ各停であったが、途中、東北沢、経堂と、準急や急行の退避待ちで結構時間を食われ、少々いらいらする。おまけに、準急や急行の通過後、必ず回送電車にセットで抜かれ、おいおい、それはないだろうという気分になる。結局、和泉多摩川まで40分弱と、予想以上の時間がかかってしまった。
小田急は、1997年に喜多見〜和泉多摩川間が高架複々線化され、今も世田谷代田〜喜多見間の工事が継続されている。その高架工事について、環境への配慮がなされていないとして、東京高裁で事業許可取消しの判決があったのは、つい先日のことだ。ファンとしては気がかりなニュースである。
さて、予想していたとおり、和泉多摩川駅は高架複線化で大きく変貌していた。以前はどちらかというと、私鉄らしい、小ぢんまりとした駅であったが、今は複々線の高架下で、スペースがあり余るくらいのコンコースが広がっている。
駅を出て、何か昔を偲ぶものはないかしばらく思案する。そうだ、駅の近くに立派な門構えのお屋敷があって、名前は思い出せないが、同級生の女の子が住んでいたはずだ。でも、もう30年以上も前のことだし期待しないほうが、と思いながらも歩いていくと、「あ、見覚えのある門!」
表札を見て、名前の記憶も蘇った。そうだ確かにこの家だ。まじまじと門を見つめていると、つんと目頭が熱くなる。
そこに「立派な門だなあ」と見上げている37年前、6歳の自分が見えてしまったのだ。
どうも過去を引きずりがちな私は、こういうシチュエーションに弱い。はた目からは、不審者と思われてもしかたのないくらい、じっと門前にたたずんでいた。
昔住んでいた共同住宅は、線路の東側にあり、高架化前は駅の改札が西側にしかなかったので、一旦駅を出て、多摩川寄りの踏切を渡り、商店街を抜けて帰ったものである。
もちろん、その踏切は高架化でなくなったのだが、商店街は残っているので、昔の駅の位置関係はある程度わかる。
早速、商店街に入ってみる。確か入ってすぐ、左手に小さなおもちゃ屋があったはずだが、それらしいものはない。家に帰るには、数十mほど先のスーパーを右手に折れるのであるが、『江戸屋』というそのスーパーは、ちゃんと残っていた。昔は2階建てだったように思うのだが、不思議なことに平屋建てになっている。
江戸屋の横の小道に入ると、かつて住んでいた共同住宅から姿を変えた、巨大なマンションが目の前に迫る。わかってはいたものの、そこにかつての面影は何も残っていない。
そのマンションを迂回して、多摩川の土手の道に出て、1961年にダンプとの衝突事故があった踏切を渡る。
踏切から和泉多摩川駅をのぞむと、かつては橋に向かって上ってきていた線路が、高架になったおかげで逆に下り勾配になっている。なんとなく変な気分である。
反対の登戸側に目を向ければ、昔ながらの多摩川橋梁。さすがにこの橋も寄る年波には勝てず、上流側に架け替えられる予定で、一部その姿も見えてきている。ただ、この日は休みなのか、裁判の影響なのか、工事は行われていなかった。
「・・・何をつくってるのかしら」
「ほら、裁判で問題になった高架工事だよ」
「ああ、だから工事を中断しているのね」
「でも、ここまでつくって止めろなんて、税金の無駄遣いよね・・・」
そんな会話が耳に入って、振り向くと、自然観察か何かのサークル活動なのだろうか、老年の男女グループ数人が散策していた。
「しーっ、あの人、裁判の関係者じゃない?」
え、誰?と思ったら、どうやら私のことらしい。「おいおい、聞こえてるよ」てなものであるが、出張ついでの背広姿でカメラを提げていれば、なにやらそれっぽい人に見えてもしかたあるまい。
それにしても、「税金の無駄遣い」か。当事者でなければ、そう思う人もいることだろう。
和泉多摩川を離れる時刻が近づいてきた。
最後に、昔通った幼稚園を訪ねることにした。当時は通園バスで通っていたのだが、実は歩いても知れた距離にある。ところが、記憶にしたがって歩いてみても、さっぱり見当がつかない。観念して近くの店のおかみさんに尋ねる。
「あの、このへんに『いずみ幼稚園』ってありませんか」
おかみさんは、すっと顔を曇らせると、胸の前で腕を交差させて、
「あの幼稚園ね、だめになっちゃったのよ」
そうか、幼稚園もなくなってしまったか。そういえば、町中でも小さな子供の姿をあまり見かけなかったような。このあたりも少子化の影響で、幼稚園の経営はたいへんなのだろう。
和泉多摩川へは、まさにこの小田急特集のために寄ったのであるが、来ないほうがよかったかな、と少々気落ちしながら駅へと戻ったのであった。