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大学2年の春休みを控えた1979年2月のある日、三井野原スキー場の民宿に電話してみる。
「もうスキー場の営業は終わるそうですが、その後でも泊まることはできますか?」
「はい。大丈夫です」
「実はひとりなんですが」
「かまいませんよ」
これで木次線、出雲坂根のスイッチバック行きが決まった。
撮影日の前後に2泊するつもりであったが、出雲坂根には旅館がなかったので、隣の三井野原スキー場に目を付けたのである。
ガイドブックにはたくさんの民宿が並んでいて、選ぶのに迷うが、たまたま同級生と同じ姓の民宿を見つけ、これも何かの縁と、そこへ電話したのであった。
当日、宍道から普通列車で出雲坂根を一旦通り過ぎて、三井野原に到着。かなり雪が積もっていたものの、民宿は駅の真ん前にあって、迷うことはない。
部屋に入ると、掛け布団が、こたつをくるむように掛けられていて、スキー場に来たという実感がわいてくる。
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駅の目の前という立地を活かし、民宿の2階から最終列車をバルブで撮影。
ポインタを載せると、朝になる。(気動車もキハ52からキハ53に変身・・・)
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翌朝、民宿のおばさんが、「お客さん、充分スキーができますよ。リフトは動いてませんけど」と本気とも冗談とも取れぬ顔で言う。
確かに誰も足を踏み入れていないゲレンデを、ひとり占めして滑るのも気持ちよさそうだ。しかし、新雪の上を颯爽と滑走する姿をイメージするのはたやすいが、残念ながら自分の腕前は、それには遠く及ばないのが現実なのであった。
ということで、スキーはあきらめ、当初の予定どおり、三井野原8:54発の普通列車で出雲坂根へ向かったのである。
ところで、その日の日記帳には、「今日は満足できる写真が一枚も撮れなかった」と記している。予想以上の雪に難儀して、撮影の成果は今ひとつなのであった。だから、ここに並べた写真も、その前提でご覧いただきたいと、あらかじめ言い訳しておこう。
駅で少し暖まってから国道314号線を上り、スイッチバックを行く普通列車を撮る。
ものぐさゆえ、ちゃんと撮影メモを残していないので、ネガを見ても、いったい何時の列車なのか判然としないが、おそらく出雲坂根9:52発の447Dだろう。
しばらく雪と戯れてから、11:18発の急行『ちどり2号』を撮るために、地図で目星をつけた場所へ向かう。30〜40分あれば着けるとの目算であったが、途中、雪が深くて思うように進めない。何度も足がずっぽりと雪にはまり、ひっくり返ってしまう。やむなくラッセルしながら進んだりしているうちに、1時間近くかかってしまった。結局、『ちどり2号』は見事に撮り逃し。
再び移動して、12:35発の452Dを撮る。これもぎりぎりになってしまい、最後はラッセルするのももどかしく、長靴に雪が入ろうとおかまいなしに突進して撮影。
無茶をしたおかげで、もう長靴の中はぐしょぐしょ。足先が凍えて耐えられないので一旦駅へ戻り、とにかく靴下を脱いで、どうしたものかと途方に暮れていると、駅員から「こっちへ来てストーブで乾かしなさい」と声がかかった。ありがたくその言葉に甘えさせてもらい、事務所にお邪魔する。撮影を断念して宿に引き返さざるを得ないと思っていただけに、本当に助かった。