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ここまで山の上からの俯瞰撮影ばかりだったので、最後に線路端から撮ってみようと、地図を頼りに山道をさまよう。途中で道もなくなり、森の中を無理やり突き抜けて、なんとか16:35発455Dを撮る。
いったいどこで撮ったのだろうか、当時の地図を見ても、場所を思い出せなかったのだが、YouTubeにアップされていた前面展望ビデオで、どうやら第二坂根トンネルのあたりとわかった。
これで撮影は終了。自分の足跡をたどって山道を戻る。帰りの列車までは間があるので、周辺の集落を散策しながら駅へ向かう。
下の写真は、駅前にあった商店。国道314号線から撮ったのだが、ご覧のとおり当時は、峠へ向かうただの田舎道でしかなかった。それが1994年、二重の螺旋を描く巨大な『奥出雲おろちループ』などが整備され、国道314号線は大きく変貌した。
おかげで、すっかり鉄道はさびれ、今や急行が走らないのはもちろん、1日の定期列車は上下3本ずつとなってしまった。
駅の待合室で列車を待っていると、「そちらは寒いから」と、駅員がまた手招きしてくれる。何度も申し訳ないと思いながらも事務所にお邪魔して、ストーブを前に、タブレットや信号、ポイントの操作など、いろいろなことを伺う。
当時の木次線は、まだ自動化されていなかったが、信号やポイントは、すべて手元で操作できるようになっているとのこと。おかげで駅員の配置も一人となり、かえって大変になったと言っていたように思う。
「でも、表に信号所がありましたよね」と問うと、もう使っていないとの返事であった。
17時58分発の457Dで出雲坂根を後にして、三井野原の民宿に戻る。
「ただいま帰りました」と玄関をくぐると、民宿の一家全員が総出で顔を出し、出迎えてくれる。
「いやいや、そんな大層な」と恐縮していると、どうも様子がおかしい。みな口々に「よかった、よかった」と言っている。
えっ?「よかった」って何? 宿代を踏み倒して逃げたと思われた? でも、荷物は部屋に置いたままだし、帰らないとは思わないはず・・・ん?帰らない・・・そうか!しまった!!やっと事態が飲み込めた。
実は、宿には写真を撮りに来たとは伝えたものの、恥ずかしくて「鉄道写真」とは言いそびれていたのである。帰着した18時過ぎという時刻も、特に遅いという意識はなく、宿への連絡もしていなかった。
でも、スキー場は照明も点いておらず、真っ暗闇である。そんな中の撮影で、遭難したのではないかと心配していたに違いない。もっと言うと、そもそも営業を終えたスキー場にひとりで泊まりに来ること自体、何か訳ありと思われていたかも知れない。
「鉄ちゃん」と知られたくないというつまらない見栄のせいで、とんだ迷惑をかけてしまった。
ここは正直に、出雲坂根まで列車の写真を撮りに行ったことを説明して、平謝り。
「なんだ、そうだったのか」と、民宿一家の顔に笑みがこぼれる。一方の私は、小さくなっているしかないのであった。
今でも、その日のことを振り返ると、出雲坂根のスイッチバックよりも、玄関先に並んだ民宿一家の姿が、そのほっとした顔が、真っ先に思い浮かぶのである。
【1979年3月現地、2011年7月記】