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 ある夏の会社でのこと、
「それで、加古川には誰が行くのかね?」と私は部下に尋ねた。(会社では結構偉そうにしてたりする)
「若いもんに行かせようと思っています」と部下は答える。
「いや、俺が行くわ」
「へっ?」
国鉄高砂線跡 路線図
地図


 加古川での仕事ができたのだが、確かに雑用に近く、立場的に私が行くことはないとは思った。
 しかし、突然公私混同してしまうが、鉄ちゃんの立場としては、別府鉄道野口線加古川刑務所の専用線跡に行ったとき、高砂線跡まで行けなかったのが少々心残りだったところに降って湧いた加古川行の仕事に、思わず自ら手を挙げてしまったのである。
「ご苦労様です」と部下に声をかけられ、車で会社を出る。その言葉に、この暑い中、加古川まで行かせて申し訳ないという意を感じ、実は趣味で出かけようとしている私はちょっと後ろめたい気分であった。

 17時少し前、加古川のある事務所で用事を終え、ちょっと早いけど仕事は終わり、さあ、鉄ちゃんモードに切り替えだと洗面所で顔を洗い、外したメガネを取ろうとした瞬間、メガネのつるがツルッ(^^;)、グシャッ・・・
 床に落ちたメガネは無残にも右眼のレンズが木っ端微塵になってしまった。
 しまった、高砂線跡に行けなくなると、とっさに思ったのはさすが鉄ちゃんであるが、次の瞬間、それどころか片目では車で神戸にも帰れないじゃないかと気付き、青くなった。 とにかく眼鏡店だと加古川刑務所専用線跡のとき涼んだデパートへ飛びこむ。こんな形で再び来ることになるとは情けない。仮のレンズを入れてもらう1時間ほどの間、若いもんの仕事を趣味のために横取りしてバチが当たったかと落ち込んでいた。
 しかし、仮レンズを現金で支払っただけあって、現金なもので、結構いけるじゃないかと気を取り直し、もう夕暮れであるが、高砂線跡を歩いてみることにする。
 いつもながら前振りが長い。


A地点(加古川線分岐点)
  加古川線分岐点

【A地点 加古川線分岐点】
高砂線跡は、緩やかに右へカーブして
左に見える加古川線から離れてゆく。


 高砂線は、加古川〜高砂間6.3Kmと貨物線の高砂〜高砂港間1.7Kmの計8.0Kmの国鉄ローカル線であったが、それぞれ1984年(昭和59年)12月、同年2月に廃止された。
 高砂線は加古川を出ると、加古川線にしばらく平行したのち、北へ向かう加古川線と分かれ、南へカーブして山陽本線をオーバークロスする。この間の築堤はほとんど手付かずに残っている。

 ちなみに加古川線との分岐点からほんの数十m先から加古川刑務所専用線が分岐しており、この写真は専用線跡に行った時に撮ったもの。

B地点(山陽本線オーバークロス)
 

【B地点 山陽本線オーバークロス】
ぶっつり切られた築堤。


高砂線の橋桁をそのまま流用した
道路橋。(右が高砂側)


 高砂線跡の築堤は、山陽本線とオーバークロスする直前でぶっつりと道路で切り込まれ、その姿を消している。
 古い地図では高砂線をくぐっていた道路だが、道幅を広げるのに邪魔なので切ゆれてしまったのだろう。
 しかし、残った築堤は、山陽本線や道路をオーバークロスしていただけあって、さすがに大きく、まるで古墳のような存在感を持って見る者に迫る。

 切れた築堤から山陽本線側へ目を向けると、高砂線の橋がそのまま道路橋に転用されている。そもそも築堤は切り崩されているのだから、短い距離で高さを稼ぐため、道路は急勾配、おまけに鉄道橋では幅員が足りず、橋上だけ車の行き違いができない。
 山陽本線の上だけぽこっと盛りあがった道路を見ると、まるで出来の悪い鉄道模型のレイアウトのようで、何とも車の運転はしにくそうだ。

 なぜそんな無理なことをという疑問は、山陽本線沿いの鉄道高架用地と書かれた看板で氷解した。鉄道が高架になれば道路は地表面で横断することになる。つまり橋の架け替えは無駄になるため、無理に使っているのだろう。
 ただ、見たところ高架工事の気配はなく、当分このままの状態が続くようだ。事故が起きないことを祈る。


C地点(野口駅跡)
 

【C地点 野口駅跡】
わかりにくい写真で申し訳ないが、
右側のホーム風に整備されたところが
野口駅跡のモニュメント。
高砂線跡は車道のあたりと思う。


 加古川の街は駅の南側のほうが開けていることもあり、B地点の橋を越えると、高砂線跡は幅の広い道路になっている。
 この道をしばらく歩くと別府鉄道野口線でも触れた野口駅跡のモニュメントに至る。写真は野口線のときとは反対側から撮ったもの。もう日はとっくに暮れて、ここで日没コールド。続きはいつになることやら。



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