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タイトル
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 加古川の仕事を終えた翌々日の土曜日の朝、家にかかってきた電話に出ると、同僚のお父さんが亡くなったとの報せだった。
「で、葬儀はどちらで?」と尋ねると、
「尾上だそうですが、わかりますか」
 尾上といったら高砂線にあった駅じゃないか、ということが不謹慎ながら先に頭に浮かんだ。葬儀に出席することを伝え電話を切る。思わぬことで間を空けず高砂線跡に行けることになった。が迷う、部下の仕事の横取りの次は葬儀にひっかけて廃線跡めぐり・・・今度はメガネを割るくらいでは済まないのではないか。

D地点(尾上駅跡)
 

D地点 尾上駅跡のモニュメント

 結局、葬儀は葬儀、廃線跡は廃線跡と割り切り、翌日の葬儀の後、高砂線跡に向かう。ただ、着替えは持ってきていたのだが靴を忘れ、ジーンズに革靴という珍妙ないでたちであった。
 野口の次の鶴林寺は省略して、尾上駅跡から再スタート。ここにも野口駅と同様、モニュメントがある。
 どう考えても元の位置ではない野口駅跡とは違い、尾上駅跡のモニュメントは前後に線路跡らしい空地もあることから元の位置のままのようだ。線路跡は全部道路に転用されたと思うのだが、もしかしたら尾上駅には側線があったのかも知れない。実は現役時代の高砂線には加古川〜野口間しか乗ったことがなく、そのへんのところはわからない。

E地点(獣道のような廃線跡)
 

E地点  【推定線路跡表示】
山陽電鉄に沿って廃線跡が続く。

 尾上駅からしばらく行くと、道路はT字路で終わり、その後は獣道のような線路跡が続く。その分、手を加えられた部分は少なく、水路などを越える小さなガーダ−橋はすべて枕木付で残っていた。

F地点(ガーダ−橋)
 

F地点 廃線跡で最も大きいガーダ−橋。
写真では架線柱が重なり、山陽電鉄のよう
に見えるが、手前の橋が高砂線跡のもの。
(南側から撮影。つまり左側が高砂方)

 E地点からほどなく、加古川を渡る直前にかなり大きなガーダ−橋が残っていた。橋の上も歩けるが、あいかわらず獣道のようで、それほど使われているようには見えない。
 この後の加古川はきっちり改修されて、橋台、橋脚など何の痕跡もない。
 平行して山陽電鉄が加古川を渡っているが、まさかそこを歩くわけにもいかないので、やむなく500mほど迂回して相生橋という道路橋を渡り、高砂の町に入った。
 高砂の町は初めてであったが、いかにも街道筋といった風情の商店が並んでいて好ましい。思わずシャッターを切ったのが下の2枚、鉄道とは関係ないが、ちょっとだけご紹介。



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