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■ G地点(高砂駅跡付近)
高砂駅跡付近まで来ると、廃線跡は遊歩道として整備されている。高砂からさらに西へ向かう専用線との分岐点に、腕木式信号機、信号てこ、転轍てこがモニュメント風に残されている。
どうもこういう保存方法に否定的な言い方ばかりしてしまうが、遊歩道に腕木式信号機というのは唐突で違和感を覚える。やはり信号機は線路の傍になくっちゃとつぶやくと同時に気がつく。違和感を感じるのは『腕木式信号機』と認識する鉄ちゃんだからで、普通の人には単なるアンティックなモニュメントとしか写らないかも知れない。
■ H地点(高砂港駅跡)
線路跡は、高砂からさらに南へ延びて高砂港へ至る。天気が悪いのと、少々疲れたこともあり、車で高砂港駅跡へ行ってみる。駅跡の横に駐車している車があったので、後ろに付けると、無人と思った車内でアベックがいちゃついている。
別にだからって無理にH地点とした訳ではないのだが、いやそのアベックもHしてた訳ではないんだけど、って何書いてんだろう・・・
日曜日の工場地帯、それも廃線跡と絶好の穴場のつもりだったアベックも驚いたろうが、こちらも鉄ちゃんとして白い目で見られるのに慣れているとはいえ、出歯亀まで身を堕としたくない。慌てて遠く離れたところに車を置いた。
で、高砂港駅跡であるが、ただののっぱらになっていた。
え?、肝心の高砂線跡の説明がそれだけ?と言われそうで心苦しいが、次のポイントへ。
■ I地点(キッコーマン工場付近)
G地点の信号機付近で分岐して、山陽電鉄沿いに西進する専用線跡を行く。遊歩道はすぐに終わり、普通の道路になっている。途中で、旧国鉄高砂工場などへさらに分岐していたはずだが、場所は特定できなかった。
廃線跡の道路は、山陽電鉄新井駅を過ぎてほどなく、専用線が引込まれていたキッコーマンの工場で終わる。工場横の水路に専用線跡らしき橋台を確認し、高砂線跡の探索も終えることにする。
その後、若干渋滞に巻き込まれながらも無事家に帰り着き、ああ、何事もなくてよかったと、革靴で歩き回って痛む足をさすりながら思うのであった。
【1999年8月現地、同年9月記】