銚子電気鉄道2/4
地図を表示下車したのは唯一の交換駅である笠上黒生(かさがみくろはえ)駅。
笠上黒生で、元営団地下鉄のデハ1002と交換
交換駅とはいえ、犬吠駅などの観光目的の駅ではないためか、置き忘れられたように昔の面影が色濃く残っている。
ホームから民家に至る小道が、なんとなくつながっていて、どこまでが構内で、どこからが構外なのか判然としない。田舎と言ってしまえばそれまでだが、何もかもデジタルに割り切る今の時代の中で、この曖昧さは得がたいものだ。
側線には、かろうじて形をとどめているデハ101が留置、というか放置されていた。
いつ崩れてもおかしくないほど痛々しく朽ちてしまったデハ101。 車体は朽ちても、特徴ある雨宮製の台車はしっかり残っている。
駅の近くの空き地で、小学生くらいの女の子が3人、仲良く遊んでいた。歳が2〜3才ずつ違うようで、一番小さな子は未就学かも知れない。
朝の雨もすっかりやんで、ホームはのどかな光に包まれていた。
もちろん声をかけたりはしない。安易に声などかけようものなら、『声かけ事件』として通報されかねない。世知辛い世の中であるが、実際に事件が多いのだからしかたない。
遊んでいる子供たちを横目にデハ101を撮影する。『君子危うきに近寄らず』である。
「こんにちは」
上の写真の左に写っている元信号小屋には、信号てこが残っていた。
そう挨拶してきたのは、3人のうちの真ん中の子であった。
その瞬間、「恥ずかしい」という思いにかられる。何が『君子』だ、こんないとけない女の子に先に挨拶されて。
「こんにちは!」恥ずかしさを打ち消すように元気な声で挨拶を返す。
「どちらからいらっしゃられたのですか?」精一杯の敬語を使うところがいじらしい。
「神戸だよ。わかるかな」と答えると、一番大きな子が「行ったことある」と声を上げる。
そんなきっかけで、しばらく女の子たちとおしゃべり。
3人の学年を尋ねると、見立てどおり、上から小学校4年、2年、そして幼稚園児であった。
最初に声をかけてくれた小学2年生の子が最も活発な性格のようで、足場用のパイプを組んだ空き地の柵を鉄棒代わりに、くるくる器用に回ってみせてくれる。
一番小さな子が話しかけてくる。
「あのね、電車撮るおじさん・・・」
「ん、なんだい?って、まんまやないかい!」東京生まれのくせに、関西の乗りで突っ込む。
「キャハハ。ねぇ電車撮るおじさん! えっとね、うんとね、お猿さんの滑り台が人気なのよ」
「?」
意味不明だが、ここでさっきのように突っ込んでは大人気ないというもの。きっと話のネタを一生懸命に考えてくれたに違いない。頭で考えた結果を唐突に口にするのは、うちの娘も同じで、こういう会話には慣れている。
「幼稚園の滑り台だね」
「そうそう」とにっこり微笑む。
デハ101の前で記念写真を撮ろうと、みんなを誘うと、一番下の子が「あそこはオバケが出るってママが言ってた」と逡巡する。
そう、お母さんは正しい。朽ちた電車で遊んだりするのは危ないので、近寄らせないようにそう言われているのだろう。
「ま、お昼にオバケは出ないか」とその子は、ひとり納得して写真に納まった。お母さん、ごめん。
プライバシー上、そのときの写真をそのまま載せるのはまずかろうし、とはいえ変にモザイクを入れるのもおかしいので、全体的に少しぼかして小さな写真にしてみた。
女の子たちと別れて、次の電車まで駅舎の写真を撮ったりしながら過ごす。
ほどなく、外川行きのデハ801が銚子から帰ってきた。これに乗って外川に置いた車を取りに戻ることにする。
銚子からデハ801が到着。 肩にかける一般的なキャリアがないのでわかりにくいが、運転士からタブレットを受け取ったところだ。
そして、いざデハ801に乗り込もうとすると、「お〜い」と呼ぶ声がする。
声のほうを振り向くと、ホームの端からさっきの女の子たちがみんなで駆けて来るではないか。
「写真撮ってくれてありがとう」
「こちらこそ、わざわざ見送ってくれて、ありがとうね」
ここまで懐いてくれて素直に嬉しい。少し奥歯に力を入れないと涙腺が緩んでしまいそうなのであった。
車に戻って、まだ少し時間があったので、この日の最後に有名な撮影場所である海鹿島〜君ヶ浜間のキャベツ畑を選ぶ。
これまた定番ながら、犬吠埼灯台を入れたアングルでデハ801を撮って一日を終えたのであった。
気まぐれで寄った銚子電鉄ではあるが、来てよかった・・・。
【2008年4月現地】