法華口駅のホームのベンチで列車を待っていると、目の前を北垣駅長が小走りに横切っていく。
ここに書いては失礼ながら、なんとなくトイレだな、と察する。そうとあらば声をかけたり、目で追ったりしてはいけないと素知らぬ顔を決め込む。
と、誰かが隣に座った気配に振り向けば、うわっ!北垣駅長!!
まさに目と鼻の先に北垣駅長という想定外の事態に、年甲斐もなくどぎまぎする。そうか、私と話をしたくて走ってきたのか・・・って、すぐに男は誤解するので始末に負えない。えっ?そんな誤解をするのは、おまえだけだって??
せっかく隣に座ってくれたのだから、何か気の利いたことを話さなきゃ。なんてかっこつけようとするから、かえって言葉が出てこない。ううう・・・完全にのぼせてしまった。
「ふう〜。のどかですねえ〜」
そんな様子を察してか、向かいのホーム跡にある桜の新緑を眺めながら、北垣駅長が大きなため息をついて切り出してくれた。
そのため息につられて、す〜っと肩の力が抜けていく。
「そうですね、桜のシーズンはたいへんな人出だったけど、すっかり落ち着きましたね」と自然に答える。こうしてしばらく駅長と言葉を交わしていると、おもむろにトイレの扉が開いて先客が出てきた。
あ、トイレが塞がっていたからか。やっと自分の勘違いに気づく。でも、きっかけはどうあれ、北垣駅長と、さしで話しができて嬉しかったというのが正直な思いなのである。
かように北垣駅長は、不思議な魅力を持った女性だ。おかげで駅長目当てに、いい歳をしたおっさん達が、引きも切らずやってくる。もちろん私もその一人である。
<2022年10月追記>
今さらの追記であるが、北垣駅長は2017年10月、半ば唐突に退任され、今はもうお会いすることはかなわない。
当時の様子は、YouTubeなどにアップされた動画で振り返るしかないが、その中で海外の方が撮られた「miyako」と題する映像に心を打たれる。
法華口駅で北垣駅長が列車を出迎え、見送るシーンを収めた3分半ほどの短い動画で、初めて見る人は、演出ではないかと思われるかも知れない。でも、動画のシーンはまさに日常的であったのだ。
当たり前とさえ思っていた光景に終止符が打たれて早5年、この動画を見返すと、情緒たっぷりのBGMとあいまって、なつかしさのあまり泣けてきそうだ。
YouTubeのコメントでは北条鉄道を訪れたことのない海外の人からも「涙が出る」と書き込まれている。そうか泣けるのは郷愁だけではない、魅せられるものを北垣駅長が持っていた証と改めて気づかされるのである。
例によって直接リンクを張っていいものかわからないが、「miyako」の動画は
こちら。
言うまでもなく「miyako」とは北垣駅長のファーストネームである。
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