ふと目覚めると、外が明るくなっている。ほどなく5時31分、定刻どおり延岡に到着。
重い身体のまま下車する。20年前、当時の国鉄高千穂線に来たことはあるのだが、あまり記憶はよみがえらない。高千穂鉄道への乗換え口に行ってみると、7:30まで窓口は閉まっているようだ。運賃は車内で清算してくださいとある。
一旦、JRのホームに引き返し、立派な杉のベンチに腰掛けて朝食をとる。朝食といっても前夜キオスクで仕入れたカロリーメイトなのが、ちょっとわびしい。
6時過ぎ、再び高千穂鉄道のホームへ行ってみると、おじいちゃんに手を引かれて、小さな女の子が早起きの散歩にやってきた。改札は無人で素通りだから簡単にホームに入れる。「まだ出よらんよね」と心配そうに尋ねるおじいちゃんが微笑ましくて、「大丈夫ですよ」と笑顔で答えると、安心して車内に入って、座席に座ってみたりしている。
そんなことをしているうちに、おじいちゃんの旅心に火がついてしまったようだ。女の子に「あとでお弁当もって終点まで行ってみようか」と話しかけている。女の子が「うん」とうなずいたのに意を得て、早速運転士に「終点まで行ったら、いくらか」と問うたのであった。
20年前に来た時も天気が悪く、雲の中を走るような感じであったが、今回も同じ。
それにしても、鉄道のはるか上空を立派な道路橋が越えていくのを見ると複雑な心境になる。それを車内のテープのアナウンスで紹介するのでなおさらである。
日之影温泉を過ぎると、やたらトンネルが多くなる。山間部に入ったとも言えるが、実はここから高千穂までは1972(昭和47)年に延伸した区間で、戦前に開業した日之影(温泉)までとは線形が一変するのである。それまでは五ヶ瀬川に沿って縫うように蛇行していたが、日之影温泉からは、高い山があってもトンネルで、深い谷も鉄橋で越える直線的な線形になってしまうのである。
地形にお構いなく直線的な線形になるのは新しい山岳路線の典型だが、鉄道旅行の風情は今ひとつ。一方で、深い谷を越えるために東洋一の高さを誇る高千穂鉄橋ができて、「おお、絶景かな」なんて歓声を上げてしまうのだから、えらそうなことは言えない。
高千穂駅を出ると、早速タクシーの運転手が寄ってきて、「どちらへ行きましょう」と誘われる。
中年男が一人、駅から降り立てば、すわ観光客と思われてもしかたないだろう。実は鉄ちゃんなんです、なんて説明するのも変なので丁重に断り、高千穂鉄橋まで歩く。
最初の列車は天岩戸駅付近で撮ったが、アングル的にはちょっと冴えない。それよりやたらトンボが乱舞していたことのほうが印象深い。
「いえいえ、これでも今年は少ないほうなんですよ」と、たまたま通りかかったおばちゃんが笑いながら教えてくれた。
次は場所を道路橋の雲海橋に変えて、本命の『トロッコ神楽号』を撮る。曇りのせいで、やはりぱっとしないがしかたない。
また歩いて高千穂のバスターミナルに戻り、バスで次の目的地、南阿蘇鉄道の高森駅を目指す。この区間は、国鉄時代に延伸工事が行われていたが、難工事で断念したという。
もしかしたら鉄道で行けたかも知れない高森までの行程は、さらに山深く、難工事というのもうなずけるものであった。
【2003年7月現地、2004年8月記】
<再訪編につづく>