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従弟の原稿を書いているさなかの6月下旬、大分への出張が入った。
いつもなら、1日休みを加えて、鉄ちゃんをするのが恒例?なのだが、ここは甘木や秋月へ、そして従弟に会いたい、そう思うのは必然であった。
出張の用件を終えて、大分駅に戻り、18時43分発豊肥本線の『九州横断特急7号』にぎりぎり飛び乗る。福岡へは、高速バスの方がはるかに速く、安いのであるが、そこはやはり鉄ちゃん、列車を選んだのあった。
途中で日は暮れてしまったものの、
よもやま話で書いたとおり、
豊肥本線は私の撮り鉄の原点だ。通過した内牧駅で、昔のままの駅舎の吹き抜けから、明かりが漏れているのを見つけたり、立野のスイッチバックを体感するだけでも、なつかしい。
あの肥後大津を通過して、原水を経て三里木まで、特急列車でもかなり時間がかかり、
Sさんは本当によく歩いたものだと、改めて感心する。
その日は久留米に泊まり、翌朝、基山駅で甘木鉄道に乗り換え、いよいよ甘木に入る。
本店の開店時刻の11時までは、まだ時間があるし、午前中に行くと、世話焼きの叔母が、昼食くらい食べていけと言い張るだろう。でも、仕事中によけいな手間をとらせたくなかったので、先に秋月へ向かうことにする。
甘木駅前から、甘木観光バスで20分あまり、いにしえの風情を今に伝える秋月の町に入る。
「秋月」のバス停を降りて、古い家並みを抜けると、田園地帯が広がる。田植えを終えたばかりの田んぼの水路は豊かな水量で、すくって飲めそうなくらい澄んでいる。
田んぼを抜けて、秋月城の杉の馬場という通りに入り、今は秋月中学校となっている城址へ行ってみる。坂を上っていくと、妙な言い方だが、自分がどんどん倒錯した世界に迷い込んでいく気分になる。
そう、そこには、立派な木造校舎が建っていたのである。杉の馬場から校舎は全く見えず、坂を上るにつれ、徐々に木造校舎が姿を現すというのも、なかなか劇的だ。
言い古された表現をすれば、タイムスリップをしたようでもあるし、逆に、自分が小学生に戻り、当時通っていた小学校の木造校舎の前にいるような錯覚にとらわれたのである。
中に入りたいのはやまやまであったが、もちろん授業中でもあり、名残を惜しんで引き返す。
杉の馬場では、教育委員会の職員が、側溝に立入禁止のロープを張って、発掘作業中だ。聞けば昔の水路を発掘しているそうだ。足下の整然と石を積んだ水路が発掘されたものだという。
「あの水路に掛けた渡り石も、おそらく昔のままですよ」
「えっ?あの石もですか」
今でも充分使えそうな渡り石を見ていると、その上を秋月藩士たちが、ひょいと越えていく姿が目に浮かぶようだ。
ところで、「菓秀 桜」の秋月支店は、その杉の馬場に面しているはずだが、さっきから何度も行き来しているのに、それらしき店が目に入らない。
おかしいなと真剣に一軒ずつ確かめていくと、扉に小さな張り紙のある店を見つけ、嫌な予感が。案の定、近寄ってみると「本日休業 菓秀 桜」との張り紙であった。
何も連絡しなかったのだからしかたない。最後に目鏡橋まで歩いて、バスで甘木に引き上げたのであった。
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