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つかのま
行きつけの喫茶店の閉店で、たちまち困ったのは、立ち寄り先である。
お気に入りの店員がいるドトールがあるじゃないか、と言われそうだが、本を読んだり原稿を書いたりするにはちょっと落ち着かないのである。
あれこれ流浪してたどり着いたのは、結局、別のチェーンのコーヒー店。何度か足を運んでみると、チェーン店でありながら、とてもアットホームな雰囲気で思った以上に居心地がよい。あっという間に、何人かいる女性店員のうち三人と顔なじみになった。
最初に顔なじみになったのは、Yさんだ。どのお客さんにも気さくに話しかけるYさんは、ちょっと天然が入っていることもあって、みなに好かれるキャラクターである。
たまたま今年のバレンタインデーに立ち寄ったときのことだった。Yさんが席にやってきて、「よかったらどうぞ」と、カフェラテの入った紙コップを差し出す。ちゃんとハート型のラテアートも施してある。
男性客へのバレンタインデーのサービスかと思い、店内を見渡すと、私だけである。ホント単純なので嬉しくて、「いいでしょ、これ」と、みんなに見せびらかしたい気分であった。いや、ここに書いてしまえばみせびらかしたも同じである。彼女にはそんな私の性格を見透かされていたのかも知れない。
次に言葉を交わすようになったTさんは、身のこなしもそつなく、いかにも手慣れた感じだ。そんな様子から、彼女が店長に違いないと確信して、ある日尋ねてみた。
「いえ、店長というのはいないんです。責任者という意味では二人の社員がいて、いつもお話しされている女性がそのひとりですよ」
「じゃああなたは?」
「ただのアルバイトです」
見立ては見事に空振り。
三人目に顔見知りになったNさんが、もうひとりの社員だった。穏やかな笑顔に育ちのよさを感じる女性で、控えめなところもあったので、言葉を交わすのが遅くなってしまったのである。
かように三人とも性格が違っているのがおもしろいところだが、やはりもっとも言葉を交わしたのは、Yさんだ。
そんなYさんからは、バレンタインデー以外にも、カフェラテをサービスしてもらったことがあった。
「似顔絵を描こうとしたんですけど、失敗しちゃったんで、ぐちゃぐちゃにしちゃいました」と言って、差し出す。確かにただの泡になっているが、なんだか憎めないのである。
自慢話を重ねるようだが、Tさんからもカフェラテをサービスしてもらったことがある。しっかりテディベアにTHANK YOUとラテアートされていて、さすがと感心する。どちらが優れているかなどと言うつもりはない。おそらくTさんは描きなれたテディベアを、Yさんはハードルの高い似顔絵にトライしたのだろう。堅実なTさんとチャレンジ精神のYさん、それぞれ持ち味がうまくかみ合っているな、と思ったものだ。
このチェーン店では、注文を受けると、イタリア語で「愛を込めて」とか「元気よく」と店員が声を出す(店名を隠すつもりはなかったのだが、これでお分かりのようにタリーズである)が、YさんとTさんの掛け合いが、もっとも響きがよくて、好きだった。
ところが、通い出して半年ほど経ったころ、Yさんが席にやってきて、「実は来月転勤することになりました」と言う。
「えっ、それは残念。さみしくなるね」と答えたが、その言葉に嘘はない。
つかのまではあったが、いろいろサービスをしてもらったし、これは何かお礼をしなくてはいけないと、最後の日にささやかな餞別を持って店へ行く。
すると、別のお客さんが、Yさんに紙袋を渡している姿が目に入った。同じく餞別だろう、さすが人気者のYさんだけのことはある。
でも、そのお客さんが、もうひとりの社員のNさんにも紙袋を渡している。「えっ?」
少し落ち着いたころ、Yさんに餞別を渡して、Nさんに尋ねてみると、同じく転勤だという。
「水くさいなあ」とは言ったものの、控えめなNさんは、言いそびれてしまったのだろう。
餞別はYさんの分しかなく、ちょっとばつが悪い。
Nさんは、翌日も片づけで店に出る予定と聞き、翌日もうひとつ餞別を用意して出向いたものの、出会えずじまい。
渡しそこねた餞別は、今も家で眠ったままになっている。
後日譚