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ローカル私鉄紀行の熊本電気鉄道で触れたように、2011年10月、現役路線の撮影を午前中で終えて、菊池温泉へ向かい、廃線跡を探索してみる。
熊本電鉄の廃線跡は、1999年に御代志から富の原の手前まで、バスを使ってスポット的に拾ったので、今度は逆に菊池から富の原まで行こうと思ったのだ。
もっとも、途中で遅い昼食をとったりして、スタートしたのは、もう15時すぎ。さすがに徒歩では時間が足りないので、観光協会でレンタサイクルを借りて、まずは菊池駅跡へ向かう。
■ ■ ■
本題に入る前に、ちょっと昔話を。現役時代の菊池駅には、1975年に訪れたのであるが、実のところ、駅のことはほとんど覚えていない。記憶のかわりに残っているのは、停車中の電車の写真2枚だけだ。
下の写真が、その2枚。元小田急のモハ302と、ヤ5という貨車を従えた、生え抜きのモハ102である。
再び菊池駅(跡)を訪れたのは、30年後の2005年、出張で菊池温泉に泊まったときのことであった。
2005年当時は、菊池駅直前の
踏切跡にレールが残っていた。
なんだか出張で何度も温泉に来ているように誤解されそうなので、ちょっと言い訳を。もちろん温泉が出張の目的ではなく、菊池をベースにして、山中での仕事が一時期続いたことがあったのである。
その日は、菊池温泉の定宿に早めに着いたので、夕食までの合間、菊池駅跡周辺だけでも見に行くことにしたのである。
駅跡の場所を尋ねようと、宿のフロントをのぞくと、若い女性スタッフひとりだけだ。
「若い方はご存じないと思うけど、昔、熊本電鉄が菊池まで来ていたんですよ。それで菊池駅の跡に行ったみたいんだけど、どなたか年輩のスタッフに場所を聞いていただけませんか」
と尋ねると、その女性スタッフが目を輝かせて言う。
「私、その電車、知ってます!」
「えっ?でも、たぶん小さい頃には廃止(1986年)されてしまったはずだけど」
「そうなんです。子供の頃、最後の日に電車を見送りに行ったことを覚えているんです」
ということで、彼女に駅跡までの道順を教えてもらう。
言われたとおりの道をたどり、元菊池駅のきくちプラザに着いた。
ただ、残念ながら、現役時代に訪ねたときの記憶は蘇らない。本当にここが菊池駅だったのだろうかと、少し熊本側に歩いてみると、しっかり線路の残った踏切跡を見つけたのであった。
■ ■ ■
昔話が長くなったが、話を現代に戻そう。今回もその踏切からスタートしようと、自転車をこぐ。
ところが、件の踏切跡に線路はなく、ただの舗装路となっていた。道路脇には折れ曲がったレールが積まれていたので、これが踏切から剥がされたものかも知れない。
廃止後20年近く残っていたのに、この6年余で消えてしまったことになる。ちょっと残念。
元菊池駅の菊池プラザ
引き剥がされたレール
■ G地点(深川〜菊池間)
右の傾いた電柱に件の黄色い札が見える
踏切から先にも、小さな橋台などが残っていたのだが、今は住宅の新築工事が行われたりして、様変わりしてしまった。
それでも、線路跡とおぼしき小径で、ふと電柱を見上げると、「鉄道横断接近柱」と書かれた札がくくり付けられていた。札自体は新しいもので、とても廃止前のものとは思えない。おそらく必要性は深く考えず、そのまま更新したのだろう。そのおかげで、他の遺構が消えゆく中、図らずも、この小径がかつて鉄道敷であったことを伝承してくれているのだ。